■100年後も、荒れ地のまま
道すがらの光景は、治山事業の一環としての山肌の修復風景であり松木沢へと流れ込む谷筋を覆う落石群であり、あるいは、わずか100年のうちに完全に表面の土を失って岩肌を露にした山容であり、堆積場に山と積まれた真っ黒なカラミであった。
カラミとは、銅の精錬過程ででる残りかすのことで、細かく磨り潰した石炭のかすをエジプトのピラミッドほども積み上げて表面を固めたように見えなくもない。
松木村跡は、こうした荒涼とした風景を抜けたとたん、僕たちの目の前に現れた。
まるでグラススキーのゲレンデのように草で覆われた山の急斜面。おそらく民家が立ち並んでいたと思われる緩斜面も草に覆われた広い平地で、その中心部には深い緑の、背丈の低い木々の林がある。沢にも近く、集落を形成するには絶好の地形であり、まるで絵はがきのような風景の場所だった。
村の入口で見つけた、沢に向いた数個の墓石に埋葬の時代を示す「天保」の文字が読み取れた。それは僕に村の歴史の長さを実感させたものだが、村の歴史を辿れば、実は天保どころか1200年以上も前に遡るのだと足尾の郷土誌は書いている。