■ルーカスに倣う
ジョージ・ルーカスが自身の青春時代を題材にして、29歳の時に作った映画「アメリカングラフィティ」は1973年の作品だが、ベトナム戦争以前の60年代前半の“幸せなアメリカ”という近過去を振り返る、昨今のアメリカ映画の手法はこれから始まった。
この映画にはもうひとつ画期的な点があって、ストーリーがエンディングを迎えると、登場人物の“その後”がタイトルクレジットの前に伝えられるのだ。
舞台となったカリフォルニア州モデストから別の場所に移って保険の外交員をしていたり、ベトナム戦争で死亡したり、作家になっていたりする。こういった物語の終わり方はとても今日的だと思う。ストーリーはストーリーの枠で収まりきらないうちに、現実は速く移り変わっていく。その顰みに倣い、僕も、今回のユーラシア大陸横断旅行で関わり合った人々についてここで記すことで、最終報告の代わりとしたい。
まずは、相棒の田丸瑞穂カメラマン。日本を発つ前に9月末に予約していた飛行機を変更できず、かといって9月末まで無為にヨーロッパに滞在することはできない。仕方なしに9月11日のパリ発便で一足先に帰ることになった。写真家でありアルピニストである田丸さんが、当初から旅の主旨に賛同してくれ、同行してくれたことに大いに感謝している。未知の土地を手探りで旅するのに、彼ほどピッタリのパートナーはいなかった。最後まで音を上げることもなく、どんなに深酒をしても翌朝ケロッとしている強さは最後まで衰えることがなかった。
しかし、そんな田丸さんにもひとつだけ弱点があって、航空券の書き換えが成功した時に、「これでようやく家に帰れる。カネコさん、この気持ちわかりますか」と実にうれしそうだった。妻子想いの父親だ。帰国して、日常の仕事を再開するとともに、山にも登り始めている。