トップエッセイ(リスト)第58回:フラミニオ・ベルトーニ、この天才知らずしてシトロエンを語るな! (08.09.13)
エッセイ

マッキナ、アラモーダ!
第58回:フラミニオ・ベルトーニ、この天才知らずしてシトロエンを語るな!
1957年、ミラノ・トリエンナーレで作品として展示された「シトロエンDS」。
 伝説のスタイリスト
2008年8月27日、日本で発売されたシトロエンの新型「C5」。その姉貴分ともいえる「C6」のモティーフは1955年に発表された、あの「DS」だった。

DSの前衛的なデザインを手がけたスタイリストは、フラミニオ・ベルトーニである。といっても名前から察することができるとおり、フランス人ではない。1903年、イタリア北部・スイス国境に面したヴァレーゼに生まれた彼は、15歳のとき地元カロッツェリアで働き始める。そこで、フランス人視察団の目にとまってパリのカロスリで修行を積み、やがて生涯を過ごすことになるシトロエンで開花する。
2005年パリで開催されたDS50周年展で。回廊に展開されたDSの初期スケッチ。
「2CV」は戦後庶民の足となっただけでなく、のちに若者の自由の象徴となった。
今も見る者に強烈な印象を与える「アミ6」。
 タイヤは冒涜だ!
2002年のことだった。ベルトーニの故郷ヴァレーゼで回顧展が開かれることを、ボクは知った。会場を訪れてみると、DSのほか、同様に彼が手がけた「トラクシオン・アヴァン」「2CV」「アミ6」が並んでいて、スイスやフランスのシトロエニストが自らの愛車で集結していた。
同時に、彼が手がけたさまざまな彫刻や絵画も展示されていた。
彼は生涯、自らをカーデザイナーではなくアーティストと自任していたのである。もちろん実力も伴っていた。芸術の都パリのさまざま著名展で、優勝も含む入選を次々と果たしていった。アルプスの向こうから来たその小柄な男は、パリの画壇や知識人の間でその名を知られていったのだった。
また、戦中・戦後をまたいで猛勉強に取り組み、建築家の資格も取得するという快挙も成し遂げた。

回顧展の当日、、フラミニオの長男レオナルド氏は会見で「父は『タイヤが付いた瞬間、私の作品は冒涜される!』と怒ったのです」と逸話を語った。ベルトーニにとっては、車も製品ではなく「作品」だったのである。

同時にレオナルド氏は、ボクがその日乗ってきたスマートを指して、「父は早くも戦前に、こうした小型のコミューターを考えていました」と教えてくれた。彼はシトロエン以外にも、クルマを手がけていたのだ。
その日以来ボクは、イタリアとフランスを駆け抜けたフラミニオ・ベルトーニという天才に興味をもち、その足跡に引き込まれていった。
そしてその直後、イタルデザインのファブリツィオ・ジウジアーロ(現副会長)に会ったのでフラミニオ・ベルトーニのことを聞いてみると、「ベルトーニは素晴らしい人だ」と感慨深げに教えてくれた。



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大矢アキオ
コラムニスト。国立音楽大学卒。二玄社SUPER CG編集記者を経て、96年からイタリア 在住。現在、雑誌Webのほか、ラジオ・テレビでも活躍中。とくにNHK『ラジオ深夜 便』における、0時過ぎの公共放送に相応しくない賑やかな語り口は、ここ数年ヘ ビーリスナーの間で話題となっている。主な著書に『Hotするイタリア』(二玄社)、 『イタリア式クルマ生活術』、訳書に『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(いずれも光人社)がある。



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