■3つの大きな業績
(前編からのつづき) 戦後は、戦火で破壊された東海精機をトヨタに売却。1946年(昭和21年)、浜松市に本田技術研究所を開設。翌年11月にはA型自転車用補助エンジンの生産を開始した。
この自転車用補助エンジンとは、小型のエンジンを改造した自転車のフレームに搭載するもので、まだクルマはもちろんバイクさえ庶民には夢の存在だった戦後間もない日本人の足となったのだ。1948年(昭和23年)には本田技研株式会社を設立した。
本田宗一郎氏の業績は数え切れないが、大別すれば3つの分野に分類できる。二輪、四輪、そしてモータースポーツである。
つまり、庶民の足としての二輪車の開発と普及。自動車産業への進出。そしてモータースポーツへの積極的な参加だ。
自転車エンジンの製作から始まるホンダの二輪車は、やがて世界へと躍進し、日本のメーカーとして初めてマン島TTレースでの優勝を果たし、その後、世界の二輪車産業のリーダーとなった。
1963年には四輪生産に進出し、翌64年8月にはF1グランプリへの挑戦を開始している。日本初の国際サーキットである鈴鹿サーキットも、1963年に宗一郎氏の発案で誕生した。