■うたかたの夢
それまで世界ラリー選手権やルマン24時間レースなどへの参戦経験があったトヨタが、
最高峰F1に打って出たのは2002年から。
2000年にはドイツのケルンにシャシー・エンジンを製造する最新鋭のファクトリーをつくり、翌年は
フランスのポール・リカール・サーキットを前線基地としてテスト期間にあて、
同じグローバル企業のパナソニックをスポーンサーにつけ、国籍を問わず有能なスタッフを集め、とにかく万を持しての船出だった。
さらに2000年には富士スピードウェイを買収し、
総工費約200億円ともいわれる巨費を投じ最新鋭化。日本GP誘致活動を水面下で進めた。
世界ナンバーワンの地位にのぼりつめようとしていた当時のトヨタにとって、フォーミュラワンは頂点に向かうための格好のシンボルであり、F1参戦は、技術力の向上などもあるが、世界規模のマーケティングに直結していたといっていい。
だが、屈指の資金力を背景に鳴り物入りで登場したものの、肝心の好成績はなかなかともなわなかった。
トヨタは8年間で140戦に出場。ライバルのホンダやBMW(いずれも2000年にエンジン供給再開、2006年からフルワークス参戦)が優勝(とはいえ1勝ずつ)を記録しているのに対し、トヨタのレース最高位は2位(5回)まで。表彰台13回、入賞87回、ポールポジションやファステストラップも各3回実現したが、頂点を極めたとはいいがたい。
コンストラクターズチャンピオンシップ最高位は2005年の4位。今シーズンは、序盤こそトップコンテンダーとして注目されたが、悲願の初勝利はならず、ランキング5位で終わった。厳しい言い方をすれば、中堅ポジションこそが定位置だった。
また2007年から2年間、念願の富士スピードウェイで日本GPを開催したものの、初年度は悪天候と運営面での不備で非難をあび、やがて1987年から20年間日本GPの舞台だった鈴鹿サーキットとの隔年開催が決まり、そして今年、交互開催すら断念せざるを得なかった(少なくとも来年から2年間、鈴鹿での開催が決定している)。
今回のトヨタの即時撤退の理由は、もちろん昨今の経済環境、とりわけ自動車業界への厳しい風当たりにある。まさにガリバーの如く成長した企業は、その巨躯を維持するのにも多くのエネルギーを要する。年間数百億円のF1費用が重荷になっても不思議ではない。
巨人が夢見た壮大な計画は、志半ばにしてはかなく消えた。