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ホンモノの4駆は高効率

“フルタイム4WD”という言葉に特別な感情を抱くことはないのに、「クワトロ(quattro)」の響きに心揺さぶられるのはなぜだろう?  1980年3月3日、ジュネーブショーの会場に新しい時代の始まりを告げる一台のクルマが姿を現した。アウディ・クワトロ……イタリア語で“4”を意味するスポーツクーペには、当時の乗用車としては珍しく4WDが搭載されていた。雪道やオフロードの走行に威力を発揮する4WDが、スポーツモデルに積まれたのには訳がある。アウディは新開発のクワトロを、悪路を走破するための技術として捉えていたのではなく、クルマのスポーツ性を飛躍的に向上させる画期的な手段として位置づけていたのだ。  そんな奇抜な発想が実は理に適っているということをアピールする舞台として、アウディが選んだのが、WRC、すなわち、世界ラリー選手権だった。アウディ・クワトロを発表した翌年の1981年に初参戦。初戦のモンテカルロラリーこそ不幸なリタイアに見舞われたものの、第2戦のスウェーデンラリーでは、アウディ・クワトロを駆るフィンランド人のハンヌ・ミッコラが、スウェーデン人以外のドライバーとして初めて、このラリーを制したのである。ミッコラはこの年のイギリスラリーでも優勝する。
しかし、話題をさらったのはもう一台のアウディ・クワトロだった。ドライバーのミッシェル・ムートン、コドライバーのファブリツィア・ポンスはともに女性のペア。同じ年の10月に開催されたサンレモラリーで、このふたりはWRC初の女性ウイナーに輝き、その名前を歴史に残したのだ。参戦1年目のアウディが、これほどの快挙を遂げるとは誰が予想しただろうか?  勢いに乗ったアウディは、翌1982年にはマニュファクチュアラーズタイトルを、1983年にはアウディのミッコラがドライバーズ・タイトルを獲得。さらに1984年にはマニュファクチュアラーズとドライバーズのダブルタイトルを手に入れ、クワトロの圧倒的な強さを見せつける結果になった。  その後もアウディはモータースポーツを通じてクワトロの技術を磨き、アメリカの「パイクスピーク・ヒルクライム」やサーキットレースの「トランザム」「IMSA GTO」、さらにはドイツの「DTM」などでクワトロのスポーツ性の高さを証明した。しかし、あまりの強さにクワトロを締め出す動きが強まり、モータースポーツからの撤退を余儀なくされたアウディ。だが心配はご無用、輝かしい戦績に裏打ちされたクワトロのテクノロジーは、公道を走る市販モデルに受け継がれているからだ。

  • アウディ クワトロ 80シリーズをベースにクーペボディに仕立てられたクワトロは、最高出力200psにチューンされた2.1リッター直列5気筒エンジンを搭載。それまで、悪路を走破するためのものとしか考えられていなかった4WDの技術に、スポーツ性向上のための手段という新しい価値観を加えた画期的なモデルだった。
  • アウディ ラリークワトロA2 & スポーツクワトロS1 アウディクワトロは、WRCでも目覚ましい活躍を見せる。初参戦の1981年シーズンに、ハンヌ・ミッコラが2勝、女性ドライバーのミシェル・ムートンもサンレモラリーで勝利をあげた。1982年には早くもマニュファクチャラーズタイトルを、1984年にはドライバー(ブロムクィスト)マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。
  • アウディ 90 quattro IMSA GTO ラリーフィールドで4WDの優位性を証明したアウディは、舞台をサーキットに。1989年には、IMSA GTのトップカテゴリーGTOクラスに参戦。90クワトロの外観は残すが、中味は完全なレーシングカーだ。720psを発生する、2.2リッター直列5気筒ターボエンジンを搭載。シリーズ13戦中7勝をあげる活躍をみせた。
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