『坂の上の雲』の舞台・松山へ 「ボルボS60」で行く歴史散策の旅 サトータケシ×ボルボS60 DRIVe 明治維新から日露戦争の勝利に至る明治の日本を描いた  司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』。  福岡から東京へ向かうサトータケシがまず「S60」で向かったのは、主人公たちの故郷である愛媛県松山市だった。

webCG

しまなみ海道の大浜PAから見た因島大橋と瀬戸内海。橋の向こうは向島。

因島大橋の下は、自転車や軽車両が通行できる。人間だけならタダ。

1929年に竣工したという愛媛県庁舎が超立派で驚く。

坂の上の雲ミュージアムへ

福岡から東へ約250km、カーナビが「広島県に入りました」と告げるあたりで、雨雲を追い越したのか空が明るくなった。「福岡→神戸(一泊)→東京を好きに走れ」と言われてパッと浮かんだのが、松山へ坂の上の雲を見に行こうということだった。 あまりに有名な司馬遼太郎の『坂の上の雲』をここで説明する愚は避けたい。明治の初期に好古(よしふる)、真之(さねゆき)の秋山兄弟と正岡子規が故郷の松山のどこかで見たであろう、坂の上の雲を見たいと思ったのだ。より具体的な目的地としては、松山の市街地に安藤忠雄設計による坂の上の雲ミュージアムがある。すぐ近くには、秋山兄弟生誕地も保存されているという。  雨は上がって薄日が差してきたけれど、風が強い。もうちょい太陽が出てくれれば、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」(ちなみに、秋山真之が記したとされる文言)だ。とにかく、念願かなって松山へ行けることで気持ちが昂(たか)ぶる。ボルボについて考えている——なんて、つい頭の中が司馬遼太郎文体になってしまうほど浮かれている。なんというお調子者か。  ひと昔前のボルボだったら、お調子者の昂ぶる気持ちをまぁまぁと鎮め、“のんびり行こうよ、狭いニッポンそんなに急いでどこへ行く”的なメッセージを発するところだ。けれども新しい「S60」は違う。お調子者のノリにあわせてキュッと曲がったりスパンと加速したり、一緒に踊ってくれるようになった。カッコも一気にあか抜けて、クラス一番のベッピンさんになった。ドイツ三人娘もかなわない。正直、ダサい眼鏡をかけてまじめに図書委員をやっていた頃のキミが懐かしい気もする。でもやっぱり、デートするならいまのキミ。

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