アルピーヌ創業者、ジャン・レデレ氏死去

2007.08.13 自動車ニュース
ジャン・レデレ氏(1922〜2007)
アルピーヌ創業者、ジャン・レデレ氏死去

アルピーヌ創業者、ジャン・レデレ氏死去

1960〜70年代にラリーやルマン24時間レースで活躍した仏「Alpine(アルピーヌ)」の創設者ジャン・レデレ氏が、2007年8月10日、パリの自宅で死去した。85歳だった。

■国民に愛されたブランド

フランスのモータースポーツの一時代を築いたアルピーヌ。その生みの親ジャン・レデレ氏が亡くなった。死因は明らかにされていないが、長年闘病生活にあったという。

訃報は、フランスのモータースポーツファンを悲しませただけでない。
就任したばかりのフランソワ・フィヨン首相も「残念だ。彼はアルピーヌを作り、このクルマはルノーと共にラリーで名声を挙げ、フランスのモータースポーツの歴史に最も美しいページを刻んだ」と、哀悼の意を表したほど。クルマに興味のない若いフランス人でも、このAマークを知らない人は稀だという。それだけ、アルピーヌは国民に愛されたブランドと言える。

アルピーヌの代表的なモデル「A110」。
1973年のモンテカルロラリーで、アルピーヌA110は1〜3位を独占。その年、WRC初代コンストラクター・チャンピオンに輝いた。(写真=ルノー)
アルピーヌの代表的なモデル「A110」。
1973年のモンテカルロラリーで、アルピーヌA110は1〜3位を独占。その年、WRC初代コンストラクター・チャンピオンに輝いた。(写真=ルノー)
1987年、ルマン24時間レースで総合優勝した「ルノー・アルピーヌA442」(写真=ルノー)
1987年、ルマン24時間レースで総合優勝した「ルノー・アルピーヌA442」(写真=ルノー)

■WRCやルマンで活躍

1922年5月17日にフランスの北部ディエップに生まれたレデレは、ガレージを営んでいた父親の影響で幼少時代からクルマの世界に親しんできた。ルノーで暫く働いた後、故郷でルノーの販売店を営むのと同時に、50年代初頭にはドライバーとしてルノー「4CV」で、モンテカルロやミッレ・ミリア、クップ・ド・アルプスなどのレースに参戦。マシンのチューニングや改良に没頭していった。

そして、1955年、彼は「山道をドライビングする楽しさ」という想いを企業名に込めた「Alpine(アルピーヌ)」を設立。4CVをベースにした「A106」を発表した。1962年には、アルピーヌの代表的モデル「A110」を、その10年後には「A310」をデビューさせた。

レース活動では、1965年にルノーと提携。1971年にモンテカルロラリーで初優勝、1973年にはWRC(ラリー世界選手権)の初代コンストラクターズチャンピオンに輝いた。しかし同年、経営難に陥ったために、ルノーに買収されて、同社のモータースポーツ部門として再スタート。その活躍はラリーだけに限らず、1978年には「アルピーヌA442」がルマン24時間レースで初優勝を遂げた。

「A110」の前で微笑む、レデレ氏。
アルピーヌ創業者、ジャン・レデレ氏死去

■復活の矢先に……

ルノーの傘下に入った後も、そして、レデレが1978年に企業を離れた後も、「5アルピーヌ」や「アルピーヌA610」と、その名称は受け継がれていた。が、「A610」を最後に、1995年、アルピーヌのマークは消滅してしまった。

しかし、日本でもアルピーヌの熱狂的なファンが多く、欧州でも元F1ドライバーのエリック・コマスを筆頭に、「A110」でクラシックカーレースに参加するグループも少なくない。その人気は色褪せることなく、コレクターズアイテムの1つに挙げられる。

一方、創設者の故郷ディエップにあったアルピーヌの工場は、1976年に誕生したルノースポール(Renault Sport)が、アルピーヌモデルをサポートするために早くから引き継いだ。そして、現在でも「クリオV6」「クリオRS」「メガーヌ II RS」などルノーのスポーツモデルを生産する。

ルノーでは、2年連続(05/06年)コンストラクターズタイトルを手にしたF1をはじめとするモータースポーツと、トゥインゴやルーテシア(仏名クリオ)に代表される大衆車メーカーという、対極にあるイメージの間を繋げる位置付けとして、アルピーヌマークを復活させる計画がある。
ルノーのカルロス・ゴーンCEOも「現在開発中のスポーツバージョンモデルにアルピーヌ名を付けることを考えている」と今年5月に発言したばかりだ。

創設者の死は、その伝説のブランドが蘇ろうとする矢先の訃報だった。
ご冥福をお祈りいたします。

(文=野口友莉/YUYU、写真=ルノー/ヨシ・オオモリ)

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