F1、GT、ルマンカーが共演、「モータースポーツ・ジャパン2006」に11万人集まる

2006.09.25 自動車ニュース

F1、GT、ルマンカーが共演、「モータースポーツ・ジャパン2006」に11万人集まる

2006年9月23日(祝・土)、24日(日)、東京・台場で「モータースポーツ・ジャパン2006」が開かれ、2日間でのべ11万人以上の来場者で賑わった。

■モータースポーツを「文化」へ

1963年、日本の近代モータースポーツの夜明けとなる第1回日本グランプリが鈴鹿サーキットで開催されてから、今年で43年。
日本のモータースポーツは、今ではホンダ、トヨタという2つのメーカーが四輪レースの最高峰であるF1グランプリを舞台に競うまでに発展したが、一般社会における認知をより一層高め、その歴史を「文化」として語り継ぐための第一歩として企画されたのが、この「モータースポーツ・ジャパン2006」だという。

そのため会場もサーキットではなく、東京の観光スポットであるお台場に設定された。新春恒例の「クラシックカーフェスティバル・ニューイヤーミーティング」や「D1グランプリinお台場」が開催された場所、といえばおわかりの方も多いと思うが、船の科学館やフジテレビ本社からほど近いスペース。
ここに自動車メーカー各社をはじめタイヤメーカー、関連各社の協力によって走行コースを中心とする会場施設が特設され、入場無料のオープンイベントとして開催された。

心配された台風の影響もなく、幸い2日間とも絶好のイベント日和だったが、記者が取材に向かったのは2日目の24日(日)。開場時間である午前9時より30分ほど前に会場に到着したところ、すでにオープンを待つ来場者が長蛇の列をなしていた。

■GT、ルマンカーがエグゾーストノートを轟かせ

おそらく数百名は並んでいたのではと思うが、開場と同時に並んでいた人々の多くが足早に駆けつけたのは、走行コースにおける最初のプログラムだった、プロドライバーによるワンメイクレースカーの同乗体験の受付だった。

マシンはマーチ、ヴィッツ、マツダロードスターで、ドライバーは服部尚貴選手をはじめ一流揃い。最長の直線でも200m弱の狭い走行エリアを、1時間半以上にわたって来場者を乗せて走り続けた彼らの姿に、ファンサービスに務めるプロ精神、そしてこのイベントの趣旨を垣間見た気がした。

その後はスーパーGT、海外ラリー、ルマン、フォーミュラ(F3、Fニッポン)、スーパー耐久など、カテゴリー別のドライバーがメインステージでトークショーを行った後に走行エリアでデモランを行うというパターンでプログラムは進行した。

GT(フェアレディZ)とルマンカー(日産R92CP)でダブルエントリーした本山哲選手ら参加ドライバーは、1速しか入らない狭いコースを目一杯使い、エグゾーストノートを轟かせながらマシンを振り回す。ほとんどのドライバーが、最後は盛大にタイヤスモークを上げながらアクセルターンやドーナツターンを決めるというエンターテイナーぶりを発揮し、場内を大いに湧かせていた。

■トヨタ対ホンダ、F1対決

午後3時からは、会場から徒歩10分前後のところにあるトヨタの「MEGA WEB」で、この「モータースポーツ・ジャパン2006」とのジョイントによる「F1カースペシャル走行イベント」が開催された。

これはMEGA WEB内ライドワン特設コースで、リカルド・ゾンタとヤルノ・トゥルーリがトヨタTF106をデモ走行させる際に、ライバルであるホンダのF1マシン、RA106がゲストとして走るというもの。RA106のドライバーはもちろんジェンソン・バトンである。

メーカー間の垣根を取り払ったこのイベントにふさわしい画期的な企画だが、その様子はメインステージに据えられた大型ディスプレイによって「モータースポーツ・ジャパン2006」会場のファンにも伝えられた。

■バトンがRA301とS2000で登場

そしてフィナーレを飾ったのは、MEGA WEBでの客演を終えて駆けつけたジェンソン・バトンによるホンダRA301のデモラン。
第一期ホンダF1の最終年度となった68年シーズンをジョン・サーティースのドライブで闘ったマシンだが、大柄なバトンの体をコクピットに収めるのは大変だったという。それでも「ぜひ日本のファンの前で走らせたい」というバトン自身のたっての願いによって実現したそうだ。

西日に染まりつつある空に向かって、かつて「ホンダ・ミュージック」と呼ばれた、RA301のV12エンジン特有のカン高いサウンドをひとしきり轟かせた後、バトンが今度はノーマルのS2000を駆って登場。ファンの喚声に応えて手を振りながら、F1のドライブと同様にウルトラスムーズなドーナツターンを披露したところで、2日間にわたったお祭りは終幕となった。

ちなみに主催者発表による来場者数は23日が4万8500人、24日が6万3500人で、2日間で計11万2000人。天候に恵まれたこともあって、この数字から判断する限り初めての試みとしては大成功だったのではないかと思う。なお、主催者側は来年以降も継続して開催するつもりだという。

(文と写真=田沼 哲)

■名だたるレーシングカーの走りを、動画で!

【Movie】GTマシン「NSX」「Z」爆走!〜モータースポーツ・ジャパン2006(SUPER GT編)

【Movie】初優勝の「パリダカ・パジェロ」で増岡浩、しみじみ〜モータースポーツ・ジャパン2006(パリダカ編)

【Movie】マツダ、ニッサン、トヨタのルマンカーの音と動き〜モータースポーツ・ジャパン2006(ルマン編)

【Movie】バトンと往年のホンダF1が夢の共演!〜モータースポーツ・ジャパン2006デモラン(ホンダF1編)

F1、GT、ルマンカーが共演、「モータースポーツ・ジャパン2006」に11万人集まるの画像

会場内には多くの歴代マシンが展示された。「日本から世界へ」と題されたメイン企画のルマン・コーナーに飾られたマツダ787B(1991)とホンダNSX(1995)。

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1970年代、「マイナーツーリング」と呼ばれた1300cc以下のツーリングカーレースの好敵手であった3台。右からSB-1シビック、B110サニー、そしてDOHCのスペシャルヘッドを持つKP47トムス・スターレット。

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プロドライバーによるワンメイクレースカーの同乗体験。マツダ・ロードスターのステアリングを握る山路慎一選手は、毎回、すべてのコーナーをドリフトで駆け抜けた。その見事な腕前とサービス精神に脱帽。

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デモランの締めはドーナツターンがほぼお約束となっていたが、1992年度全日本スポーツプロトタイプ選手権のチャンピオンマシンである日産R92CPまで振り回してしまっているのは本山選手。あとでニスモのスタッフに怒られてたりして?

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1992年のルマンで2位に入賞したトヨタTS010。ステアリングを握るのは、1995年に日本人初のルマン・ウィナーとなった関谷正徳氏。

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サスペンションに連動して可変する分割式ウイングを備えた、1968年日本グランプリ優勝車である日産R381。長谷見昌弘氏がドライブした。

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1969年の日本グランプリや日本カンナムに出走したのとほぼ同型の、5リッターV8DOHCエンジンを搭載したトヨタ7を駆るのは、元チームトヨタの大坪善男氏と高橋晴邦氏(写真)。

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2日間にわたるイベントのトリを務めた、ジェンソン・バトン駆る1968年ホンダRA301。当時最強と謳われた、450psを発生する3リッターV12DOHCエンジンを搭載。

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