フィアット復活物語 第6章「これがランチア日本上陸計画だ!」(大矢アキオ)

2006.09.16 エッセイ

第6章:「これがランチア日本上陸計画だ!」

先日マイナーチェンジされたイプシロン。フロントでは同色パンパーとエアインテークの形状が新しい。(フィアット提供)
ヴェネツィア映画祭でモックアップが公開されたランチア・デルタHPE(フィアット提供)

■ランチア創立100年祭の会場で

ランチアは、前回紹介したヴェネツィア映画祭のスポンサーに続き、2006年9月4-9日にはトリノで創立100年祭を催した。ランチアクラブ・イタリアの呼びかけで、世界18カ国から360台の歴代ランチアが結集した。

5日目の金曜夜には、「ソワレー・ランチア」と題して、カルロ・ビスカレッティ自動車博物館が参加者に開放された。

その場で筆者が話す機会を得たのは、ブランド・マネージャーとしてランチア部門のトップに立つオリヴィエ・フランソワである。
フランソワ氏は1961年パリ生まれ。シトロエンのデンマーク法人、イタリア法人を経てフィアットに移籍した。つまり、彼も以前お伝えした新生フィアット“宇宙人”マネージャーのひとりだ。
昨年フィアット・ブランドの販売責任者として新型プント・デビュー計画に参画したのち、ランチアのトップに立った。

フランソワ氏は語る。
「これから先5年でランチアは大きく変わります」
その前奏曲が、先日『webCG』でもお伝えしたランチア・デルタHPEというわけである。

ランチアのトップ、オリヴィエ・フランソワ

■新デルタで日本上陸

そしてフランソワ氏は日本人の筆者に対して、興味深いニュースを明かしてくれた。ランチアの日本再上陸計画である。

思えば、1990年にフィアット・オート・ジャパン(FAJ)の前身が設立されて以来今日まで、常にランチアは日本法人の取り扱いブランドから切り離されていた。フランソワ氏は、ランチアもFAJを通じて販売することを目下計画中というのだ。

そのD-dayは?との質問に、「現時点では2008年末です」と答えた。再上陸の切り札は、前述の新型デルタであることも明かしてくれた。
デルタのデビューは2008年といわれているから、うまくいけば同年内に日本の路上でその姿を眺められることになる。

プレミアムカーのジャンルに新規参入したレクサスを含め、日本では多くのライバルが待ち構えていると思うが?との問いに、フランソワ氏は「私たちには歴史があります」と自信たっぷりに答えた。

続いてさらに詳しい話をしてくれたのは、国際マーケティング部長のアイヨール・グロウヴェルである。
日本進出にあたっては、状況によりランチア専売店の可能性も模索するという。なかなかの気合である。

新型デルタはアウディA3の顧客をターゲットにしている。同時に日本市場には、イプシロンもその傍らに据えるという。ちなみに、イプシロンの特別仕様「モモ・デザイン」のオーダーの相当なパーセンテージは日本の顧客であったと証言する。

いっぽう、現行のテージス級車種は、「当初は投入する予定はない」らしい。

アヨウル・グロウヴェル国際マーケティング部長

■未来のトップモデルは?

加えてグロウヴェル氏は、ランチアの次期フラッグシップについて、次のようにも語ってくれた。

「ランチアとしては、最高級車種がほかの社内ブランドとバッティングしないように、ポジションを設定しなくてはなりません。目下それを模索しているところです」

フェラーリを離れてフィアットの直接コントロール下に入ったマセラーティとのバッティング回避や、逆に部品共用も要検討課題か?との問いに、彼は「そうだ」と答えた。

アルファ166の後継車169も含め、どこまで共通にし、どこまで棲み分けるのか無限に気になるグループ全体の次期トップモデル戦略だが、今日はパーティーだ。必要以上に詮索するのは不粋というものだ。
「それでは、これからトーキョー出張が増えますね」
との問いにグロウヴェル氏は嬉しそうに頷いた。

そこでボクは、とっさに山田優が出演する東京メトロのCMを思い出し、「大丈夫。東京には2000以上のイタリア料理店があるそうですよ」とフォローした。

すると横から広報部長が、「ダメダメ。郷に入ったら郷のモノ食べなきゃ」とグロウヴェル氏に突っ込みを入れた。

繰り返しになるが、日本市場は甘くない。回転寿司をつまみながらでいい。まわる皿の向こうにある、世界でも特異な自動車マーケットをしっかり観察し、ランチアの成功に繋げてしほしいものだ。

(文と写真=大矢アキオ-Akio Lorenzo OYA/2006年9月)

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大矢 アキオ

大矢 アキオ

イタリアコラムニスト。1966年東京生まれ。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒。 二玄社『SUPER CG』編集部員を経て、1996年独立と同時にイタリア在住。 著書に「イタリア式クルマ生活術」光人社刊 ほか著書多数。