第47回:『唯一無二』日野コンマース(1960-62)(その2)

2006.09.13 エッセイ

第47回:『唯一無二』日野コンマース(1960-62)(その2)

通称ビートルこと「フォルクスワーゲン(タイプ1)」をベースに1950年に誕生した「VWトランスポーター(タイプ2)」。ピックアップ、ダブルピックアップ、デリバリーバン、コンビ、マイクロバス、デラックス・マイクロバス(写真)、キャンパーなど、バリエーションは多種多様。
通称ビートルこと「フォルクスワーゲン(タイプ1)」をベースに1950年に誕生した「VWトランスポーター(タイプ2)」。ピックアップ、ダブルピックアップ、デリバリーバン、コンビ、マイクロバス、デラックス・マイクロバス(写真)、キャンパーなど、バリエーションは多種多様。
FF商用車のパイオニアであるシトロエンの「Hトラック」。写真のバンをはじめピックアップなどさまざまなボディが架装できた。全長は4.3mほどだが、全幅は2m近く、全高は2.1m以上あり、エンジンは1.9リッター直4のほかディーゼルも用意されていた。
FF商用車のパイオニアであるシトロエンの「Hトラック」。写真のバンをはじめピックアップなどさまざまなボディが架装できた。全長は4.3mほどだが、全幅は2m近く、全高は2.1m以上あり、エンジンは1.9リッター直4のほかディーゼルも用意されていた。

■マーケティングの産物

多目的トランスポーター「コンマース」の開発は、1957 年に始められたという。当時はそれまでの三輪トラック(オート三輪)にかわって四輪トラックが小型トラックの主流となり始めた時期で、並行してそれをベースとするライトバンやパネルバンなどの需要も増えていた。そのいっぽうでは乗用車をベースとするライトバンも出現し始めていたが、トラックベース、乗用車ベースともにバンとしては一長一短だった。

すなわち前者は積載量は大きいものの、そのころの表現を使えば「クッションが悪い」、すなわち足まわりが硬く振動が大きいため高級商品の運搬などには不向きで、対して後者は乗り心地はいいものの荷室容積に制限があった。そして積み降ろしの容易さという点では、両者ともに問題があった。

開発を前にして、そうしたモデルしか存在しなかった市場を対象に日野でマーケティング調査を行ったところ、「最大積載量は500kg以内でいいが、広い荷室容積とクッションのいいバンが欲しい」という意見が、中小企業や商店を中心に相当数あったそうだ。また、まだ乗用車が普及していなかった当時、バンは「平日はビジネスに、週末はドライブに」という貨客兼用車としての比重も高かったが、そうした需要に向けては乗り心地のよさは歓迎される要素だった。

少人数の人員輸送に適したマイクロバスへの応用も当初から考慮されていた。当時の国産マイクロバスはトラックシャシーにボディを架装したものだったため、床面は高く、乗り心地も期待できるものではなかった。よってそうした欠点が改善されれば、さらなる需要が見込めたのである。

「コンマース」の「バン」のカタログより、低床式をアピールする図。
「コンマース」の「バン」のカタログより、低床式をアピールする図。
こちらは「ミニバス」のカタログより、やはり低床式をアピールする図。
こちらは「ミニバス」のカタログより、やはり低床式をアピールする図。
コンマースの特徴である「FF方式」と「四輪独立懸架」をフィーチャーした図。前後サスペンションにトーションバー・スプリングが使われていることがよくわかる。
コンマースの特徴である「FF方式」と「四輪独立懸架」をフィーチャーした図。前後サスペンションにトーションバー・スプリングが使われていることがよくわかる。

■先端を行く設計

こうしたマーケティングの結果から、「広い荷室と良好な乗り心地を持ち、人員輸送にも適した低床式のトランスポーター」という開発コンセプトに到達、それを実現するための基本的な設計方針を以下のように定めた。
1.低床式モノコックボディ
2.前輪駆動方式
3.四輪独立懸架

これら3つのメカニズムは、いずれも国産商用車としては初の試みだった。最初の項目であるモノコックボディについていえば、その範囲を乗用車まで広げたとしても、「日野ルノー」「日産オースチンA50」、いすゞの「ヒルマン・ミンクス」という欧州メーカーのライセンス生産車を除けば、「スバル360」が小型車では唯一の存在という状況だったのである。日野はルノーおよびバスボディ(乗用車のようなシャシーまで含めた一体構造ではないが)でモノコックの経験があったため採用に踏み切ったのだろう。

前回(その1)でも述べたように、コンマースの企画に際して参考にしたのが「フォルクスワーゲン・タイプ2」だったという。とはいうものの、タイプ2はご存知のように「ビートル」をベースにしたRRである。低床を実現するためにはプロペラシャフトのないRRかFFにする必要があり、その意味では理に適っているのだが、エンジンを後部に置くと当然ながら荷室のフラットフロア化は不可能となり、後面からの貨物の積み降ろしも制限を受ける。実際問題、タイプ2にはテールゲートは設けられていない。

そこでコンマースはルノーで経験のあるRRを捨ててFFにチャレンジしたのだが、当時の日本におけるFF車といえば、1955年に登場したスズキの軽自動車「スズライト」シリーズと、ごく少数が作られたスチール家具で知られる岡村製作所の「ミカサ」のみだった。

世界的に見てもまだFFは少数派だったが、とはいうもののヨーロッパでは商用車の分野でもすでに何台かの例が見られた。たとえばトタン板のようなボディで知られるシトロエンの「H(アッシュ)トラック」は戦後間もない47年から存在していたし、ドイツの「DKW」や「ロイト」も50年代からFFのトランスポーターをラインナップしていた。またコンマースの試作車がテストを重ねていたころには、「ルノー」からもワンボックスのトランスポーターがリリースされたそうだ。
というと、じゃあコンマースもルノーの協力を得て……と考える向きもあろうが、それは早計というもの。両社が技術提携を交わしたのは4CVに関してのみであり、コンマースは100%自社開発とのことである。

モノコックボディとFFの導入によって、コンマースは床面高510mmという低床を実現した。これは今日のFR方式のワンボックスバンが、低床式を謳うものでも床面高600mm前後あることを思えば、当時としては驚異的な低さだったのではないだろうか。

四輪独立懸架もまた、リアエンジンの乗用車である日野ルノーとスバル360ぐらいしか採用されていないメカニズムだった。それどころか、当時の日本では前輪独立懸架でさえまだ最新のメカニズムとして通用していたのである。コンマースはFFゆえにフロントは必然的に独立式となるわけだが、そんな時代にあって乗用車並みの乗り心地とロードホールディングを実現するためにリアにも独立懸架を採用したのだった。方式はフロントがダブルウィッシュボーン/トーションバーで、リアはトーションバーと横置きリーフを併用していた。

以上がコンマースの基本設計だが、これがいかに進歩的であったかどうかは、その発表と同じ59年に登場した当時の代表的な小型乗用車である初代「ダットサン・ブルーバード(310型)」と比べればより鮮明となる。310型のシャシーはそれまでのトラック兼用から脱却して乗用車専用設計となったものの依然としてセパレートフレーム式であり、前輪懸架はようやく独立式となったが後輪はリーフリジッドのままで、駆動方式はもちろんFRだった。(つづく)

(文=田沼 哲/2006年2月)

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田沼 哲

田沼 哲

NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。