第41回:『小さな高級車』マツダ・キャロル(1962〜70)(最終回)

2006.09.13 エッセイ

第41回:『小さな高級車』マツダ・キャロル(1962〜70)(最終回)

67年5月に市販開始された「コスモスポーツ」用の2ローター・ロータリーエンジン。491cc×2から最高出力110ps/7000rpm、最大トルク13.3kgm/3500rpmを発生した。翌68年7月に出た普及型ロータリー第1弾の「ファミリア・ロータリークーペ」では100psにデチューンされていたが、それでもリッターあたり100馬力。つまり軽規格に収めた1ローター・360ccでも、 36psは固かったと思われるが、当時は40ps以上になるだろうと噂されていた。
67年5月に市販開始された「コスモスポーツ」用の2ローター・ロータリーエンジン。491cc×2から最高出力110ps/7000rpm、最大トルク13.3kgm/3500rpmを発生した。翌68年7月に出た普及型ロータリー第1弾の「ファミリア・ロータリークーペ」では100psにデチューンされていたが、それでもリッターあたり100馬力。つまり軽規格に収めた1ローター・360ccでも、 36psは固かったと思われるが、当時は40ps以上になるだろうと噂されていた。
72年7月に発売された「シャンテ」。ボディは2ドアのみ、水冷2ストローク2気筒エンジンによるFRというごく平凡な設計で、360cc軽最長のロングホイールベース(2200mm)を特徴として謳っていた。
72年7月に発売された「シャンテ」。ボディは2ドアのみ、水冷2ストローク2気筒エンジンによるFRというごく平凡な設計で、360cc軽最長のロングホイールベース(2200mm)を特徴として謳っていた。

■幻のキャロル・ロータリー

67年デビューのホンダN360に始まる軽のパワーウォーズからひとり取り残されてしまったキャロルだが、なぜマツダがこうした事態に陥るまで放置していたかといえば、社運を賭したロータリーエンジンとそれを搭載した上級車種の開発に忙しく、とても軽まで手が回らなかったというのが、おそらく実情だろう。
60年からロータリーエンジンの研究開発に着手したマツダは、67年には世界初の2ローター・ロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツを発売。次いで基幹車種であるファミリアやルーチェにもロータリー搭載車を追加し、自ら「ロータリゼーション」と呼んだフルライン・ロータリー化を進めつつあった。

当然ながら、その構想には軽であるキャロルも含まれていた。軽量コンパクトで、パワフルかつスムーズというロータリーの特徴は、パッケージングに厳しい制約のある軽にはまさにうってつけであり(短所である燃費については、当時は大目に見られていた)、これを積めばキャロルが市場に返り咲くことは必至と思われたからである。
マツダではキャロルのボディに1ローター360ccエンジンを積んだモデルをはじめいくつかのモデルを試作し、70年には運輸省(当時)に「キャロル・ロータリー」の型式申請を行ったという。

だが、結果的には「キャロル・ロータリー」は認可されなかった。運輸省は、当時FIAがロータリーエンジン搭載車がモータースポーツに参加する際に定めていた「排気量はレシプロの2倍に換算」というレギュレーションを盾に、キャロルロータリーは軽規格をはみ出すとの論理からマツダの申請を退けたという。
この裁定は、群を抜いて高性能なキャロル・ロータリーの出現を脅威とみる他社の意向を汲んでのことであると言われていた。またそれとは別に、1ローターエンジンの振動対策に苦慮するなど、マツダ自身にも製品化に至らなかった理由があるという話も耳にしたことがあるが、真偽のほどは不明である。
しかし、どんな理由があったにせよ、キャロル・ロータリーは市販化されなかった。これは明白な事実である。そして、その騒動の渦中の70年8月、キャロルの生産はひっそりと終焉を迎えた。8年半の生涯における総生産台数は26万台強だった。

この角度からはエンジン形式がわからないが、ロータリーの代わりに登用されたシャンテの水冷2ストローク2 気筒エンジンである。最高出力35ps/6500rpm、最大トルク4.0kgm/5500rpmのスペックはトップクラスだったが、騒音、振動などの点で評判は芳しくなかった。
この角度からはエンジン形式がわからないが、ロータリーの代わりに登用されたシャンテの水冷2ストローク2 気筒エンジンである。最高出力35ps/6500rpm、最大トルク4.0kgm/5500rpmのスペックはトップクラスだったが、騒音、振動などの点で評判は芳しくなかった。
シャンテの生産中止から15年近い空白を経た89年11月、現在は消滅した販売チャンネルである「オートザム」ブランドから復活した「キャロル」。スズキ・アルトのランニングシャシーにマツダ独自のボディを載せた、いわば「着せ替えアルト」だった。
シャンテの生産中止から15年近い空白を経た89年11月、現在は消滅した販売チャンネルである「オートザム」ブランドから復活した「キャロル」。スズキ・アルトのランニングシャシーにマツダ独自のボディを載せた、いわば「着せ替えアルト」だった。

■後継車種も「これっきり」

キャロル・ロータリーの中止で、上りかけたハシゴを外されたがごとく、軽乗用車市場からの一時撤退を余儀なくされたマツダ。それから約2年のブランクを経た72年7月、「ロータリー抜きのキャロル・ロータリー」とでも呼ぶべきモデルが「シャンテ」の名を与えられてデビューした。
360cc軽史上最長の2200mmのホイールベースを持つ2ドアボディの、本来ならロータリーエンジンが収まるはずだったボンネットの下には、軽トラックのポーター系から流用した水冷2ストローク2気筒エンジンが鎮座していた。このパワーユニットは、60年代にはモーターサイクルメーカーでもあったブリヂストン製エンジンの流れを汲むといわれるロータリーディスクバルブ方式で、最高出力は当時としてはトップレベルの35ps/6500rpmを発生、4段ギアボックスを介してオーソドックスに後輪を駆動した。

だが、このエンジンがまた不評だった。その理由は額面ほどの力が感じられない、騒音、振動が激しいといったところだったが、つまるところ「間に合わせ」のエンジンは、やはりそれだけのものでしかなかったということではないだろうか。周囲を見渡せば、近い将来の公害対策に備えて2ストロークから4ストロークエンジンへの換装もそろそろ始まろうというこの時期に、2ストローク2気筒エンジンの採用は時代に逆行したものだったし、マツダとしてもある程度の不評は織り込み済みだったのかもしれない。そうした時代背景もあって、このころになると軽のパワーウォーズも沈静化し、同時に軽市場そのものがやや縮小していたが、それにしてもシャンテのセールスはパッとしなかった。

そして翌73年秋には、予期しなかった石油危機が勃発。燃費の悪いロータリー車の販売は急激に落ち込み、たちまちマツダは窮地に立たされた。もしキャロル・ロータリーが世に出ていたとしても、この事態によって存亡の危機を迎えていたかもしれないが、それはともかくとして、これをきっかけに業績不振に陥ったマツダに軽乗用車の改良・開発に回す余力は残されていなかった。
76年1月には軽自動車規格が550ccに拡大されるが、シャンテはその日を迎えることなく、75年中に生産中止。こちらも一代限りの「これっきりですカー」となってしまった。それから14年後にキャロルの名が復活するまで、マツダの軽乗用車史には空白が続くのである。

こうして実現しなかったキャロル・ロータリー、そして後継車種のシャンテを含めたキャロルの歴史を振り返ってみると、その鍵を握っていたのは一貫して「エンジン」だったことに気付く。自慢だった4気筒エンジンが結果的には足を引っ張り、一発大逆転を狙ったロータリーは幻に終わり、その代役にあてがわれた2ストロークユニットは力不足……。とはいえキャロルがけっして悪いクルマだったわけではない。その凝ったメカニズムの採用は英断だったといえるし、一時はベストセラーに輝いたほどの人気と実績を誇ったのだから。(おわり)

(文=田沼 哲/2005年7月)

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田沼 哲

田沼 哲

NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。