第31回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(最終回)

2006.09.13 エッセイ

第31回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(最終回)(田沼 哲)

■汚名返上ならず

ダイハツとしては、できることなら“欠陥車”の烙印を押されてしまったアプローズをすっぱりと切り捨て、新型車を開発したかったのかもしれない。だがこうした販売状況では、とてもじゃないが開発コストの回収など見込めず、新規開発など望めない。かといって製品ラインナップを考えると生産中止するわけにもいかず、半ば“放置プレイ”のような状態で細々とつくり続けるしかなかったのだろう。なお、この間94年には4WDの16Ziがラインナップから落とされている。

96年には年間販売台数がついに500台を割ったが、翌97年9月にはその生涯において最後の、そして最大規模のマイナーチェンジが施された。押し出しの強い大型メッキグリルを採用、ヘッドライトやリアコンビネーションランプを変更するなどして印象を一新、室内もインパネが全面的に改められ、運転席/助手席エアバッグが標準装備されるなどの変更を受けた。同時に車種整理も行われ、SXとSLという2グレードのみとなった。

個人的にはマイナーチェンジの知らせを耳にしたとき、正直言って「まだつくってたのか」という気がしたが、とりあえずこの措置によって同年、そして翌98年の販売台数は500台を超えたが、99年には再び減少して300台未満に。そして11歳の誕生日まであと4カ月という2000年3月、汚名返上を果たせないまま、ついにというべきか、ようやくというべきか、生産中止。後継モデルとして登場したアルティスは自社開発ではなく、トヨタの3ナンバーFFセダン、カムリ・グラシアのOEMだった。

結果として、販売期間10年以上にわたるアプローズの累計国内販売台数は2万2000台弱。当初の月間販売目標からすれば、わずか8カ月分に満たなかったことになる。その命取りとなった出火事件については、アプローズの欠陥が原因であった可能性が大きい。とはいうものの、製造元として当然のことだが直ちに不具合を認め、リコール対応したダイハツとしては、もしあの大々的な報道さえなかったならば……という思いを捨てきれなかったのではないだろうか。クルマ自体のできが悪くなかっただけに、アプローズに振りかかった不幸な運命を、自業自得と言ってしまうのはあまりにも不憫な気がする。そんな「これっきりカー」、それがアプローズだった。(おわり)

(文=田沼 哲/2004年6月1日)

97年9月に3度目、そして最後となるマイナーチェンジを施されたアプローズの最終型。プレスを変えたボンネットの先端にはメッキされたグリルが付き、押し出しは強くなったものの、本来持っていたクリーンなムードは薄れて俗っぽくなってしまった。
第31回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(最終回)(田沼 哲)
インパネも全面的に変更され、ブラウン系の樹脂ベースに木目化粧版貼りと、外観同様“オヤジ度”が上昇。しかしデュアルSRSエアバックが標準装備され、オプションでナビゲーションも装着可能となるなど、内容的にはアップデートされていた。
第31回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(最終回)(田沼 哲)

この記事の大きな画像を見るためには、画像ギャラリーをご覧ください。

田沼 哲

田沼 哲

NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。