第30回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その4)

2006.09.13 エッセイ

第30回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その4)

92年7月には2度目のマイナーチェンジを実施。これは90年10月の最初のマイナーチェンジの際に加えられた最高級グレードのリミテッドだが、フロントマスクが変更され、前後バンパーを大型化、リアスポイラーの形状も変えられている。車名は「アプローズ」に戻された。
第30回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その4)(田沼 哲)

■歯止めの効かない下降

この一件がアプローズのセールスに与えた影響は甚大だった。翌90年1月の国内販売台数は500台未満と、それまでの月平均の半分を割り込んでしまい、その後も芳しくない数字が並んだ。

対策として、同年5月には路面状況に応じて自動的に減衰力が変化するという日本初の周波数感応式ダンパーやハイマウントストップランプ内蔵リアスポイラーなどを備えた特別仕様車「QR-90」を追加。また10月にはホイールキャップなど外装にわずかな変更を施すとともに16Xに代わる16Siおよび最高級グレードのリミテッドを加えた。同時にθ(シータ)のサブネームを与えて車名を「アプローズθ」に改称した。だが、こうした措置もカンフル剤とはなりえなかった。結果的に90年の年間販売台数は5000台に満たず、販売期間が半年足らずだったデビュー年のそれを下回ってしまったのである。

その後92年7月にはフロントマスクの変更、前後バンパーの大型化など内外装をフェイスリフトし、サイドインパクトビームを標準装備するなどのマイナーチェンジが実施され、車名も単なる「アプローズ」に戻された。しかし販売台数は91年の3500台弱から、92年2500台強、93年2000台弱と、下降の一途を辿っていた。(つづく)

(文=田沼 哲/2004年5月28日)

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田沼 哲

田沼 哲

NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。