第29回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その3)

2006.09.13 エッセイ

第29回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その3)

■つまずきと失速

当初、ダイハツが掲げた月間販売目標台数は3000台。それには及ばなかったものの、本格的に販売が始まった8月から11月までは月平均1000台以上をキープしていた。カローラをはじめ強豪ひしめく市場では厳しい戦いは避けられないが、幸いメディアにおける評判は悪くない。それが顧客層にじわじわと浸透していけば、徐々に販売も上向くのでは、とメーカー側も期待したはずである。

しかし……その年のうちにアプローズは失速してしまった。その引き金となったのは、初期生産ロットに発生したリコール。不具合個所はATとオルタネーターだったが、この2件のリコール届けを運輸省(当時)へ提出した10月27日は、たまたま東京モーターショーの一般公開日初日でもあった。それに対してモーターショーの主催者である自動車工業振興会が、「リコール対象車を出展するのはいかがなものか」と反応したことが新聞などで報道されてしまったのだった。 

これがケチの付き始めだったが、悪いときには悪いことが重なるものである。翌11月には、ガソリンスタンドで給油しようとした際に、給油口から吹き返したガソリンに何らかの火が引火し、従業員が火傷を負うという事件が発生。さらにもう1件、走行中にエンジン付近から出火し、クルマが全焼するという事件も起きてしまったのだ。

喝采どころか火災が……などとベタな駄洒落で揶揄されたこれらの出火事件と前後して、ダイハツはブレーキ系統と燃料タンクにも不具合があったとして再びリコール届けを提出したが、先の事件が某大新聞で大きく報道されたことで、不運にもアプローズは“燃えるクルマ”ひいては“欠陥車”というネガティブなイメージが、瞬く間に世間に浸透してしまったのだ。ダイハツは軽自動車部門ではトップメーカーだが、小型車市場においてはマイナーブランドでしかない。しかもアプローズのような地味なセダンとなれば、その存在が世間に知れ渡るのは時間がかかる。だが、今回はその限りではなかった。誠に皮肉ながら……。(つづく)

(文=田沼 哲/2004年5月27日)

FFの16Riと4WDの16Ziに搭載された、電子制御インジェクション仕様のHD-E型エンジン。直4SOHC16バルブ1589ccから最高出力120ps/6300rpm、最大トルク14.3kgm/4800rpmを発生した。
第29回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その3)(田沼 哲)
デビューから15カ月後の90年10月に最初のマイナーチェンジが施され、車名は「アプローズθ(シータ)」となった。これは従来の16Xに代わる16Siだが、外観上はストップランプ内蔵リアスポイラーが装着されたこと、およびデザインの異なるホイールキャップで識別可能である。
第29回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その3)(田沼 哲)

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田沼 哲

田沼 哲

NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。