トップ > エッセイ >これっきりですカー >第25回:『さりげなさすぎ』マツダ・エチュード(1987〜89)(その3) (2006.9.13)
これっきりですカー

第25回:『さりげなさすぎ』マツダ・エチュード(1987〜89)(その3):これっきりですカー

田沼 哲

第25回:『さりげなさすぎ』マツダ・エチュード(1987〜89)(その3)

シートのレイアウトもファミリアに準ずるが、フロントはサイドサポートがより張り出したバケットタイプとなり、リアは法規上は定員3名ではあるものの、明らかに2名のためのデザインとなっている。
第25回:『さりげなさすぎ』マツダ・エチュード(1987〜89)(その3)
型式名B6と呼ばれる直4DOHC16バルブ1597ccエンジンは、ボア×ストローク=78.0× 83.6mmというロングストローク型。最高出力110ps/6500rpm、最大トルク13.5kgm/4500rpmを発生する。現在も基本的に同じエンジンがマツダ・ロードスターに搭載されている。
第25回:『さりげなさすぎ』マツダ・エチュード(1987〜89)(その3)

■販売期間2年、台数1万台弱

さてこのエチュード、当時はどんな評価を受けていたのだろうか。『Car Graphic』1987年4月号に掲載された試乗会におけるロードインプレッションを要約すれば、「エンジンはレブリミットの7000rpmまできれいに回り、5MTのギアリングは街中においても山坂道においても適切。ただし4ATは発進時にもたつきがあり、ノイズが大きく、期待が大きかったぶん失望した。ファミリア・スポルト16よりソフトになったサスペンション・セッティングは美点のひとつで、柔らかくされたとはいえ箱根のワインディングロードを駆け巡ったときも不安がないばかりか、とてもしなやかで、ほぼニュートラルステアの姿勢でコーナリングを楽しめる」と、その走りに関しては評されていた。
そして「ハードウェアとしての煮詰まり方はなかなかイイ線いってると思う。何も都会派の人たちだけのクルマにする手はない。一説には、現在のファミリアのオリジナル・デザインがこのエチュードであったというから、それならファミリアのモデルチェンジと同時期に発表されていれば、旧型ファミリアを支えた若者たち、赤いXGでスキー場に向かう若者たちに、強烈なインパクトを与えることになったのではあるまいか」と結ばれていた。

また、前述した『NAVI』87年3月号には、「ファミリアがサーフィンに仲間と行くような健康的なクルマだとすれば、エチュードは都会に住む雑誌編集者が、夕方から夜にかけて徘徊する、ちょっとネクラなクルマなのだそうだ。はたしてこのエチュードのストーリーが、市場に受け入れられるかどうかというのは、自動車社会の成熟を見守る我々としても興味深いところだ」と記されていた。

ところが、いざ発売されたエチュードの市場での評判は芳しくなかった。87 年度の販売台数は6000台弱と、メーカーが月間販売予定台数として掲げた2000台の、3カ月分にも満たなかったのである。いくら基幹車種ではないとはいえ、目論見が外れたマツダは、テコ入れとして翌88年2月にSOHC1.5リッターエンジンを搭載した1500saを追加、同時にボディカラーもそれまでのホワイト系、シルバー系、レッド、ブラックに加え、新たにイエロー系とブルーがラインナップされた。しかしその甲斐もなく、88年の販売台数は3000台強とさらに低下。翌89年2月に実施されたファミリアのフルモデルチェンジに際して生産中止となり、13年ぶりに登場した新たな車名だったエチュードの名は、わずか2年、販売台数にして1万台弱を数えただけで葬られた。(つづく)

(文=田沼 哲/2003年11月24日)

田沼 哲

田沼 哲

NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。

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