第8回:「うたかたの夢」グラース2600V8(1965〜68)(前編)

2006.09.13 エッセイ

第8回:「うたかたの夢」グラース2600V8(1965〜68)(前編)

1955年に登場したグラース初の四輪車であるゴッゴモビルT250。全長3m足らずのボディのリアに空冷2ストローク並列2気筒247cc、13.6psエンジンを搭載した軽便車。これから10年後にまさかV8エンジン搭載車を作ろうとは……。
第8回:「うたかたの夢」グラース2600V8(1965〜68)(前編)(田沼 哲)

1960年代半ば、西ドイツ(当時)の弱小メーカーだったグラースは、「ゴッゴモビル」で戦後ヨーロッパのミニカーマーケットで一定の成功を収め、リッターカー、中型車市場へと歩を進めるのであるが……。

1965年秋のフランクフルトショーでデビューしたグラース2600V8。細いピラーと広いグラスエリアを持つボディは、イタリアのカロッツェリア、フルアの手になるもの。全長(4600mm)に比して短いホイールベース(2500mm)は、中型セダンの「グラース1700」と共通だった。
第8回:「うたかたの夢」グラース2600V8(1965〜68)(前編)(田沼 哲)

■元は農機具メーカー

自動車メーカーとして名乗りをあげた以上は、乗用車をつくりたい。そして、いずれは自らの名を冠したスポーツカーや高級車をつくってみたい。これは古今東西の自動車メーカーに共通する、普遍的な思いといえるだろう。1950年代、西ドイツ(当時)でミニカーを作り始めた「グラース」も、そんな夢を抱いたメーカーのひとつだった。一時的に彼らの夢は実現したものの、結果的にはその野望がアダとなり、70年代を迎える前にその歴史を閉じることになったのであるが。

グラース自体の歴史は古く、1883年にドイツはバイエルン地方に農機具メーカーとして設立された。1951年にスクーターによって自動車分野に進出し、4 年後の55年には「ゴッゴモビルT250」によって、第二次大戦後のヨーロッパに形成されていたミニカーマーケットに参入を果たした。

ゴッゴモビルT250は、全長2900mm、全幅1280mmという、360cc時代のわが国の軽自動車とほぼ等しいサイズのボディのリアに空冷2ストローク並列2気筒250ccエンジン(後に300/400cc版も登場)を搭載した4座セダンである。元農機具メーカーの作品らしく野暮ったくはあるものの、 BMWイセッタやメッサーシュミットといったライバルに比べれば“自動車らしい”姿をしていた。

大小6個のメーターが並ぶインパネのレイアウトをはじめ、室内もデザインもイタリアンGTそのものだった。
第8回:「うたかたの夢」グラース2600V8(1965〜68)(前編)(田沼 哲)

■より大きく、高性能に

ゴッゴモビルがそれなりの成功を収めたことで、グラースは58年には600〜700ccエンジンを搭載した「スモーラーカー」と呼ばれたひとつ上級のクラスへ進出、次いで62年には「S1004クーペ」によってリッターカー市場へも歩を進めた。S1004クーペは、市販車としては世界で初めてカムシャフトの駆動にコッグドベルトを用いた、当時としては進歩的な設計の1リッター直4SOHCエンジンを、イタリアのピエトロ・フルアがデザインした2ドアクーペボディに搭載したモデルであり、以後2ドアセダンやカブリオレ、ワゴン、そして1.2/1.3リッターエンジン搭載モデルなどのバリエーションを加えていった。

グラースの上級指向は続く。63年にはフルア・デザインの2ドアクーペ/カブリオレの1300GT、そして64年にはやはりフルアの手になるボディを持つグラース初の4ドアセダン、1700によって中型車市場にも進出した。だが、そうして急激に拡張したラインナップと販売成績は、残念ながらシンクロしなかった。予期されたことではあるが、小型車ではフォルクスワーゲンやオペル、フォード、中型車ではそれらに加えてBMWやアウディが群雄割拠する市場では、後発のグラースは大苦戦。皮肉にも発売以来不変のゴッゴモビルが、ライバルが消え去ったこともあって、一定の市場を確保し、屋台骨を支えている状態だった。(以下、後編に続く)

(文=田沼 哲/2002年3月26日)

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田沼 哲

田沼 哲

NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。