第3回:「死して名を残す」トヨペット・マスター(1955〜56)

2006.09.13 エッセイ

第3回:「死して名を残す」トヨペット・マスター(1955〜56)

マスターの広報用写真。メーカーがイタリアン・スタイルと呼んだスタイリングは、市場で競合するノックダウン生産の欧州車(オースチン、ヒルマン)に対抗して採用されたものだという。
第3回:『死して名を残す』

1955年に初代クラウンと同時にデビューした「トヨペット・マスター」。自家用のクラウンに対して、営業用のマスターは、イタリア風のシンプルなデザインで、タクシーキャブとして活躍したのだが・・・。

現存する56年型マスター。ボディは重ね塗りされ、パテ埋めされた形跡も随所に見られるが、左前ウインカーレンズ以外は欠品は見当たらず、レストアベースとしてのコンディションは良好。
第3回:『死して名を残す』
タイリングはスッキリしているが、トラックシャシーを流用しているため、腰高に見えるのはしかたない。ホイール/タイヤは16インチ。
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■自家用と営業用

今回のサンプルである「トヨペット・マスター」は、厳密な意味では「これっきりですカー」とはいえないかもしれない。「マスター」自体はたしかに一代限りだが、そこから派生したモデルは、本家が消滅したのち10年以上も命脈を保ったからだ。だが、このたび非常に貴重な現存車両を発見したため、取り上げることにした次第である。

マスター(型式名RR)が誕生したのは1955年1月。この年月を見てピンとくる人はかなりの国産旧車マニアだろう。トヨタそして国産初の本格的な量産乗用車として、後世に語り継がれる存在である「トヨペット・クラウン(型式名RS)」と同時にデビューしたのだ。クラウンRSとは、昨年その復刻版である「オリジン」が発売されて話題を呼んだ観音開きドアを持つ初代クラウンである。

RRやRSといった型式名の最初の“R”は、排気量1500cc以下という当時の小型車(5ナンバー)規格に合わせて作られた、トヨタの誇る最新鋭エンジンだったR型(直 4OHV1453cc・48ps)を意味する。同じエンジンを搭載していたことから推測されるように、クラウンとマスターは同じ5ナンバー“フルサイズ” のセダンだった。

なぜ同クラスのモデルを同時に2車種発表したかといえば、そこにはいわゆるバッジ・エンジニアリングなどではない、当時ならではの実質的な理由があった。端的にいえば純自家用のクラウンに対して、営業すなわちタクシー用のマスター。いってみればマスターは、クラウン・コンフォートの先祖のような存在だったのだ。

インパネやステアリングホイールはクラウンRSと共通。計器類は円形メーターが速度計、横長コンビメーターは左から油圧/電流/燃料/水温計。
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タクシーキャブの「主役」である後席。トラックシャシーのためフロアが高く、乗降はややしずらい。シート地や内張もオリジナルのままである。
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■“イタリア風”のシンプルなスタイリング

事情をもう少し詳しく説明すると、まず、クラウン出現以前の国産乗用車というのは、みなトラックと同じシャシーフレームにセダンボディを架装したものだった。技術的な問題もさることながら、マイカーなど夢のまた夢、その需要のほとんどがタクシー向けという状況においては、乗用車専用設計など採算からいって不可能だったのである。
そこに華々しく登場したクラウンは、当初から純然たる乗用車として設計されており、数々の新機軸が導入されていた。なかでもダブルウィッシュボーン/コイルの前輪独立懸架、後輪はリジッドだが柔らかい3枚リーフのスプリングを用いたサスペンションは、国産車としては画期的なもので、クラウンに外車に劣らぬ快適な乗り心地をもたらした。

しかし、この「進歩的」な前輪独立懸架の耐久性がタクシーの過酷な使用状況に耐えうるかどうか疑問視されたため、従来どおりタフなトラックシャシーを流用したモデルを併売することにした。いかにもトヨタらしい慎重なやりかただが、それがマスターだったのである。基本的にはトラックシャシーだから、マスターのサスペンションは前後とも5枚リーフで吊ったリジッドで、タイヤもクラウンよりひとまわり大径の16インチだった。しかし、R型エンジンをはじめ、油圧式クラッチ、2、3速にシンクロメッシュを導入したギアボックス、リモートコントロール式のシフトレバー(コラムシフト)、ハイポイドギアを採用したファイナルドライブといった「国際水準を行く」新機構はクラウンと共通だった。

そのシャシーに載るボディは、系列会社である関東自動車工業で設計から架装まで一貫して行われた。クラウンのアメリカン・スタイルに対して、イタリア風と称していた無駄な装飾のないシンプルなスタイリングは、個人的には観音開きクラウンより好ましく思う。

昨年のニューイヤーミーティングにエントリーされた、キレイにレストアした56年型マスターライン・シングルピック。これも非常に貴重な存在である。
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59年3月に登場した2代目マスターライン。ベースは観音開きの初代クラウンに変更されたが、マスターラインの実績から名称が残されたわけである。
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マスターラインを名乗った最終モデルである、2代目クラウン・ベースの67年型マスターライン。同年秋にフルチェンジされた3代目クラウンからは、ついに商業車にもクラウンの名が冠せられることとなった。
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■マスターライン

クラウンより10万円安い89万5000円で発売されたマスターは、タクシーキャブとして着実な実績を残した。が、やがてクラウンの耐久性が営業用としても問題ないことがわかり、また日増しに高まるその評価にタクシー業界からもクラウンを求める声が強くなったため、発売から約2年後の56年12月をもって生産中止された。総生産台数は7403台だった。
前近代的なトラックベースのモデルから純乗用車のクラウンへと移行する期間において、いわばワンポイント・リリーフのような役割を果たしたマスター。だが、じつはそこから派生した車種が、母体を上回る成功を収めたのだ。55年12月に登場した「マスターライン」がそれである。マスターのシャシーに、ライトバン、シングルピックアップ、またはダブルピックアップという3種のボディを架装した4ナンバーの商用車であるマスターラインは、乗用車ムードの「貨客兼用車」としてヒット作となったのだ。

初代マスターラインは59年2月に生産が打ち切られ、翌3月には観音開きクラウン・ベースの新型が登場したが、その新シリーズも好評だった「マスターライン」の名を引き継いだ。62年10月にクラウンがフルチェンジを迎えてもその名は残され、結局、マスターラインの名が消えたのは、クラウンが3代目に進化した67年9月のことだった。マスターは死しても、その名を10余年にわたって残したのである。

なお、今回取材したマスターは、都内にある某ディーラーのサービス工場の片隅に「わけあり」で置かれていたもので、フロントグリルのデザインがデビュー当初とは微妙に異なる56年型である。現在は不動の状態だが、見たところ欠品もほとんどなく、コンディションはこの種のクルマとしてはかなりいい。聞くところによれば10年ほど前まで走っていた車両らしく、その気になれば復活はそう難しくなさそうだ。

前述したように総生産台数は7403台、しかもそもそもがタクシーキャブだから、残存数はごく少ないはず。ちなみに私自身は、トヨタ博物館と石川県小松市にある日本自動車博物館所蔵のもの、そしてさるコレクター氏が所有しているものの3台しか現存車を知らない。つまりこの個体は、きわめて貴重なサバイバーなのである。

(文=田沼 哲/2001年5月2日)

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田沼 哲

田沼 哲

NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。