第1回:「佳人薄命」マツダ・ルーチェ・ロータリークーペ(1969〜70年)

2006.09.13 エッセイ

第1回:「佳人薄命」マツダ・ルーチェ・ロータリークーペ(1969〜70年)

■「RX87」から約2年

量産化を前提とするロータリーエンジン搭載の次世代スポーツ「RX-8」が2001年のデトロイトショーで発表されたことにより、「ロータリーのマツダ」というアイデンティティはかろうじて守られた。
マツダがロータリーエンジン搭載の市販第1号車であるコスモスポーツを発売したのは1967年。それから30余年におよぶマツダ・ロータリー史上において、最強(?)の「これっきりですカー」といえば、1969年に登場した高級パーソナルカー「ルーチェ・ロータリークーペ」であろう。
ルーチェ・ロータリークーペのベースとなったのは、66年8月に発売されたルーチェ。カロッツェリア・ベルトーネ(スタイリストはG・ジウジアーロ)の手になるボディをもった、1.5リッター級の4ドアサルーンだった。
ルーチェは、当時の国産車としては先進的だった直4SOHCクロスフローユニットを除けば、ごく平凡な設計のサルーンだったが、じつは当初はロータリー搭載車として企画されたという。しかし、やはりロータリーはスポーティモデルに搭載したいというマツダの意向から、レシプロエンジンに変更された。
その後、オリジナルのサルーンボディをマツダの手で2ドアハードトップクーペにアレンジし、ロータリーを搭載したプロトタイプが、67年の東京モーターショーに「RX87」のコードネームでデビュー。それから2年後の69年10月、ルーチェ・ロータリークーペとしてようやく市販開始されたのである。  

■平たくてデカいオムスビ

このルーチェ・ロータリークーペ、一見したところルーチェのボディをクーペ化し、ロータリーエンジンに換装しただけのように思われるが、それは大きな間違い。実際には、ほとんどの部分が新設計なのである。
まず、駆動方式にマツダ初の、そしてロータリー史上唯一の前輪駆動を導入した。これは67年にデビューした、やはりFWDを採用したロータリーの「本家」だったNSUのRo80を意識してのことなのかもしれない。
「13A」という形式名が与えられた655cc×2の2ヴァンケルユニットも新設計で、このエンジンもまた特殊な存在なのだ。この13Aを除くマツダのロータリーエンジンは、コスモスポーツに搭載された10A(491cc×2)以降、12A(573cc×2)も13B(654cc×2)も、レシプロエンジンのピストンに相当するオムスビ型のローターの外径、およびシリンダーに相当するローターハウジングの内径は、すべて基本的に同じである。唯一の3ローターであるユーノス・コスモの20Bとて、13Bに1ローターを追加したものといえる。
よって、機種の違いによる排気量の増加は、ローター/ローターハウジングの「厚み」を増すことで実現してきたのである。つまり、レシプロでいえば、シリンダーブロックのボアが同一で、ストロークのみを変えてきたようなものなのだ。ところが、13Aだけはローターの外径およびローターハウジングの内径をひとまわり大きくすることによって、排気量を増大した。要するに、ひとりだけ平たくてデカいオムスビを持っていたのである。

■ボディが先にありき

なぜこんな方法を採ったかといえば、フロントアクスル前方にエンジンを縦方向にオーバーハングさせるため、エンジンの前後長を詰めたかったからにほかならない。
初めてのFWD車であるから、ギアボックスやファイナルドライブといった駆動系も当然新設計である。サスペンションもまったく新しく、フロントがダブルウイッシュボーン/トーションラバー、リアがセミトレーリングアーム/コイルの4輪独立懸架。ステアリングも新設計のラック&ピニオン。国産ハードトップで初めて三角窓を廃した、クリーンで美しいボディも、サルーンと共通部分はほとんどなかった。とにかく、なにからなにまで新しずくめだったのである。
価格はデラックスが145.0万円、パワーステアリング、パワーウィンドウ、エアコン、カーステレオ、レザートップなどを標準装備したスーパーデラックスが 175.0万円で、似たような性格のいすゞ117クーペ(172.0万円)とほぼ等しかった。クラウンやセドリックの最高級グレードが120万円前後だったころの話だから、相当な金額である。
しかし、この入魂の作品は、発売から1年にも満たない70年6月に早くも生産中止。佳人薄命ということわざそのままの、あまりにあっけない幕切れの真相は定かではないが、かつて取材したオーナー氏の推測によると、様々な弱点が露呈したからではないかという。
熱対策の不備によるオーバーヒートを筆頭に、フロントヘビーによる頑固なアンダーステア、ドライブシャフト付近からの異音……。だが、オーナー氏はそれらの不具合を「すべてはジウジアーロ・デザインのボディが先にありきで、それに沿って中身を帳尻合わせしたために起きた悲劇」と評していた。
総生産台数は976台、現存台数は定かではないが、走行可能なものはきわめて少ないはず、と伝え聞いている。

(文=田沼 哲/2001年2月22日)

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田沼 哲

田沼 哲

NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。