フィアット復活物語 第1章「フィアットは、死んでなんかいないゾ!」(大矢アキオ)

2006.08.09 エッセイ
 

第1章:「フィアットは、死んでなんかいないゾ!」

 
日本にも上陸したグランデ・プントは、イタリアの街中で存在感を増している。
これはイタリアのタータ販売店。この店はダイハツと併売している。モデナにて。
フィアットのモンテゼーモロ会長。2006年7月25日午後、マラネッロにて。

イタ車メーカーのドン、フィアットの苦境が伝えられて久しい。提携先のGMに見捨てられ(!?)、国内外で影響力がガタ落ち……と思いきや、実はヒタヒタと、着実に復活への道を辿っているという。イタリア在住、大矢アキオによる「フィアット復活物語」。さまよえるイタリア自動車メーカーの巨人に、帝王学を学ぶことはできるか?

■国産車3割以下の国、イタリア

みなさんは最近の、会社としてのフィアットをご存知だろうか。
「何か、経営が苦しいって聞いたことがある」という方は多いと思う。

たしかに、それは事実だった。
魅力的な車種不足と、それと対照的なドイツ車、フランス車、日本車の躍進。そのため昨2005年までイタリアで、フィアットの5ブランド(フィアット、アルファ・ロメオ、ランチア、マセラーティ、フェラーリ)をあわせた登録シェアは3割を切っていたのだ。つまり、7割以上が外国車だったのである。

■プント効果

そんなフィアットに一筋の光明が差し始めたのは、偶然にも本拠地のトリノで冬季五輪が行なわれていた2006年2月である。

1月のEU域内乗用車登録台数で、前年にデビューした新型フィアット・プント(通称グランデ・プント)が1位になったのだ。
イタリアの単一車種が、欧州首位になるのは、なんと約10年ぶりの快挙だった。

国内では、新型パンダもそれを後押しした。今年第一四半期には、悲願のシェア30%を回復した。そして5月中旬、モンテゼーモロ会長は、堂々と危機脱却宣言をした。

さらに同日、マラネッロに現れた同会長は、「フェラーリも今年過去最高の利益を上げる」と記者団に語った。フェラーリ部門においては、銀行に渡っているフェラーリ株も近い将来買収し、100%自己資本にする計画だ。

ただし、昨年までの苦難の数年とリバイバルへの道のりは、本文の中で後日振り返ることにする。

■怒涛の新パートナー発表

新型プント&パンダというヒット商品に恵まれたフィアットは、経営面でも「攻め」に転じ始めた。

とくに今年7月は、すさまじい勢いで新たな提携を発表した。
まず、24日月曜日。中国のSAIC(上海汽車)とフィアットの商用車部門イヴェコとの間で、中国における大型トラックの合弁事業計画を発表した。
同日さらに、ロシア企業との間で商用車「ドゥカート」を生産することもアナウンスした。

翌25日は今度は、インド最大の自動車メーカー、タータとの提携強化を発表した。フィアットとタータは昨年から、インドにおけるフィアット車販売などで協力関係を開始していたが、今回はそれを一歩進めたものだ。

内容は以下の3つである。
1.プントと、新型の3ボックスカー(コードネームD200)をインドで生産する。
2.エンジンと変速機をインドで合弁生産する。将来的に輸出も視野に入れる。
3.アルゼンチンにおける合弁生産の可能性について、これから2カ月間両社で研究する。

■この「したたかさ」を見たか?

フィアットの新しいパートナーは、いずれも日本のカーエンスージアストにとっては決して身近な国とはいえない。
しかし、昨今の経済ニュースを見ればわかるとおり、「近い将来の大市場」として誰もが異議を唱えない国をすべて“押さえている”のである。

思い起こせば、フィアットのこうした「したたかさ」は今日に始まったことではない。
1966年には西側諸国でいち早く当時のソヴィエト政府と合弁生産に調印。1970年から実際に生産開始している。また、南米での生産にもいち早く着手している。
ちなみに、1969年にイタリア全土を吹き荒れた労働争議“熱い秋”のあとには、リビアのガダフィ大佐からの資本援助を受け入れたこともあった。

かくもフィアットは、独特のアプローチを得意としてきたのだ。

ところで、イタリアの自動車産業は3週間から1カ月の長い夏休み。休み明けに出社してみたら、隣の机には出向の外国人−そんなフィアット・マンもいるかもしれない。

中国、ロシア、そしてインド……給湯室の棚にあるお茶も充実間違いなし、とも筆者は読んだ。

(文と写真=大矢アキオ-Akio Lorenzo OYA/2006年8月)

 

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大矢 アキオ

大矢 アキオ

イタリアコラムニスト。1966年東京生まれ。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒。 二玄社『SUPER CG』編集部員を経て、1996年独立と同時にイタリア在住。 著書に「イタリア式クルマ生活術」光人社刊 ほか著書多数。