赤毛のアンと「ルート66」“米国31州 1万マイルの旅”(その4) エルビスの記念館と、いよいよR66本番へ

2006.04.13 From Our Staff
赤毛のアンと「ルート66」“米国31州 1万マイルの旅”(その4) エルビスの記念館と、いよいよR66本番へ

赤毛のアンと「ルート66」“米国31州 1万マイルの旅”(その4) エルビスの記念館と、いよいよR66本番へ

すでにかなりの距離を走ったが、いよいよ本番のルート66へ突入。その前に立ち寄ったエルビス・プレスリーの記念館では……。

ストックブリッジの町。
赤毛のアンと「ルート66」“米国31州 1万マイルの旅”(その4) エルビスの記念館と、いよいよR66本番へ

エルビスの記念館は……

その先の東海岸はパス。連日TVでもニュースに流れていたが、ニューオリンズのカトリーナ台風による水害は予想以上で旅行者には危険と判断した。運河にはワニが出没しているし、ガソリンの給油もままならないようだ。また家内はエルビス・プレスリーのファンでもあり、メンフィスのグレースランド詣では今回の訪問先予定にも当然入っている。コロンバスに住む姪の様子見に立ち寄った後、直下のメンフィスに向かう。通りの名前にもなっている有名人ゆえ場所はすぐわかる。

グレースランドの本館。エルビス・プレスリー・ファンの聖地。
赤毛のアンと「ルート66」“米国31州 1万マイルの旅”(その4) エルビスの記念館と、いよいよR66本番へ

5ドル払って広大な駐車場にPTクルーザーをとめると、一角でスチュードベーカー関連のクラブ・ミーティングのようなことをやっていた。

グレースランドはその駐車場側に入場口があって、エルビス・プレスリー・ブルバードという通りを挟んだ向こう側に本館がある。そこへは入場料22ドル、28 ドル、55ドルと3種類のツアーが用意されていたので、中間のプラチナムツアーをチョイス。仰々しいツアーのバスの列に並んで日本語のレシーバーを借り、道路の反対側へ短い道中を送ってもらう。

グレースランド内にはプレスリー家のお墓もある。
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入ってみると、まぁ、いってみれば「石原裕次郎記念館」などと変わらない。が、レコードなどの受賞モノは、とにかく凄い数だった。

ツアーも終盤にかかる頃、家内は不機嫌な顔をしてブツブツ文句を言っている。つまり、ちょっとコマーシャリズムというか、お金稼ぎにに走っているような感じで、邸内にはお墓もあるのだが、そこに供えられている花が、造花であることが気に入らないらしい。今なお5000万ドルという年収(亡くなった人の中では世界一だという)があるのだから、「せめて毎日生花をあげてよ……」とは家内の主張である。または毎日多くのファンがお参りに来るのだから、有料でもいいから生花を手向けられるようにすべきだ、とも言う。同感。

プレスリーの自動車ミュージアム入り口のキャデラック。
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ウーン、あの頃はな〜

メンフィスまで下りてしまうと、ルート66の出発点であるシカゴまで戻らなくても、セントルイスからでも十分。シカゴは行きに寄っていることだし……と自分に言い訳する。HISTORIC ROUTE66の茶色い看板を見つけると、もうこれをたどって行けばいいと安易に思い込んでしまうが、実はそこからが大変なのだ。

道端にはもう使われていない朽ち果てたガソリンスタンドがあり、錆びた車やレッカー車などがそのまま置かれている、整備工場の廃墟などもあり、往時が偲ばれてしばしの感傷を誘う。

HISTORIC ROUTE66の標識。
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ヴィニータの町に入ると、ルート66の幟をかかげて歓迎ムードも伝わってくる。そんな当時から営業していたような古いモーテルを見つけて投宿。「ウーン、あの頃はな〜……」と昔話をしてくれそうなお爺さんからお湯をもらって、スーパーで買った韓国製のカップラーメンを食べる。フォーッと凄い音量の汽笛が鳴り、ゴトンゴトンと列車がレールの上を走る音が10分ほど長く続くのが聞こえた。近くに鉄道が通っているようだ。部屋は広いがベッドのスプリングはヘタっている。宿代46ドルじゃ、贅沢いってもしょうがないか……。R59とR60という数字を見つけて、照明もない真っ暗な道を数時間も走り続け、やっと明かりを頼って見つけた宿なのだし。

(文と写真=笹目二朗/2006年4月)

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