【ダカール・ラリー2006】“シノケン”こと篠塚建次郎、最後のダカール・ラリーへ

2005.12.19 自動車ニュース

【ダカール・ラリー2006】“シノケン”こと篠塚建次郎、最後のダカール・ラリーへ

2006年のダカール・ラリーを最後にラリードライバーを引退することを表明している篠塚建次郎のための壮行会が、2005年12月16日に都内ホテルで行われた。

「ダカールラリーラストラン壮行会」の発起人は、篠塚を“パリダカ”の世界へといざなった俳優の夏木陽介だった。
1986年、夏木は、18歳に始めたラリー活動を中断していた篠塚を連れパリ・ダカールに参戦。以後、アフリカの砂漠を舞台にしたラリーレイドに、篠塚の名前はなくてはならないものとなった。

三菱自動車の社員でもあった篠塚は、三菱ワークスの力を背景に1987年3位、翌年2位と好成績を残し、またスプリント競技の世界ラリー選手権(WRC)にも参戦、1991、1992年とアイボリーコーストを2年連続で制するなどした。

それでも、パリダカ初勝利は1997年まで待つことになる。念願の栄冠を手に入れ、2勝目に挑戦していた2000年大会では大クラッシュ。怪我は克服したものの、2002年には三菱から事実上の引退を勧められ、現役続行を望んだ篠塚は三菱を退社、日産からダカール・ラリーにエントリーした。

しかし、新天地での活躍はならず、2003年から3連続リタイア。体力の衰えも感じた篠塚は、キャリア40年、57歳で挑む区切りのダカール・ラリーで幕引きを決めた。

近年の結果を振り返り、「自分は完走率の高いドライバーだと思っていたんですがねえ……」と苦笑いする篠塚。最後のダカールは、「できるだけ勝負しない。順位を気にしないと自分に言い聞かせてゴールしたい」と、なんとしても完走し、ダカールの地で有終の美を飾りたい思いをあらわにした。

そのいっぽうで、今回のコース図を指し、「モーリタニアに入ってからが勝負どころ」と解説。日本を代表するラリードライバーの勘はまだ鈍っていないようだった。

28回目のパリダカ、“シノケン”にとって21回目にして最後のパリダカは、2005年12月31日にポルトガルからスタートし、翌年1月15日にダカールでフィナーレを迎える。

(webCG 有吉)

シノケンダカールラリーラストラン応援サイト:
http://www.shinoken-lastrun.com/


「とにかくダカールにたどり着きたい」と語る篠塚は、現在パリ在住。ダカールには自らが2002年に設立した小学校があり、毎年文房具などを送り届けているという。


勝負師として、「モーリタニアがポイントである」とコメント。


篠塚が駆る「日産パスファインダー」。まったくの新車で、「先週テストしたばかり」の状態とか。

この記事の大きな画像を見るためには、画像ギャラリーをご覧ください。