3年ぶりの開催は雪の中、「NISMO FESTIVAL @ FUJI SPEEDWAY 2005 RETURNS」に2万7100人

2005.12.06 自動車ニュース

3年ぶりの開催は雪の中、「NISMO FESTIVAL @ FUJI SPEEDWAY 2005 RETURNS」に2万7100人

2005年12月4日(日)、毎年恒例の日産ファンの祭典「ニスモフェスティバル」が、3年ぶりに富士スピードウェイにおいて開かれた。

■ニスモフェスはやっぱり富士

「NISMO FESTIVAL @ FUJI SPEEDWAY 2005 RETURNS」と題された今回のニスモフェスティバル。「RETURNS」とあるように、富士スピードウェイが改修工事中だった2003年から04年の2回は、岡山国際サーキット(旧TI英田)で開かれていた。

西日本のファンにとってはうれしい2年間だったことだろうが、やはり日産車には富士がピッタリくる。今ではトヨタのサーキットとなった富士だが、そこには60年代の日本グランプリ以来の、日産モータースポーツの栄光の歴史が刻み込まれているからである。
その思いは日産ファンも同じだったようで、ゲートオープンの午前5時前から周辺道路に日産車が列をなしていたという。

午前9時、メインストレート上に出場ドライバーが勢ぞろいして挨拶、本コースにおけるイベントが幕を開けた。

最初のプログラムはカップレース用のマーチによるエキシビジョンレース。出場選手は本山哲、井出有治ら新旧トップドライバー8名に加えて、レース好きでF3経験もあるというカルロス・タバレス日産副社長。レースは井出選手が優勝したが、タバレス副社長はブービー賞。2番手グリッドからのスタートだったにもかかわらず、抜かれたというよりほかの選手にポジションを譲るように後退。おそらくドライバーたちに華を持たせようとしたに違いない。

次のプログラムは「ドリフトX-TREMEショー」。エビスサーキットから世界に飛び出したハイスピードパフォーマンスチーム8名が、広大な富士のコースを舞台に繰り広げるドリフトショーである。派手にタイヤスモークとスキール音にサーキット内のボルテージが高まったころ、ピットではこの日の主役であるマシン群のエンジンに火が入った。

■なんとかデモランは行えたが

昨年のニスモフェスティバルで36年ぶりの復活を遂げた69年日本グランプリ優勝車である「R382」に加え、今回は68年グランプリで優勝した「R381」と、67および68年グランプリ出走車と同型の「R380-II」も出走するというのである。

これはエンジン始動の瞬間から見届けないと、とピットで待機していたが、合わせて26気筒13.5リッター、6本の直管から吐き出されるエグゾーストノートは、まさに「耳を聾する」という感じの、すさまじいまでの爆音。ピットの壁に反響して一段と増幅されたサウンドを全身に浴びて、思わず総毛立った。

ステアリングを握るのは、R382が高橋国光、R381が68年の優勝ドライバーである北野元という60〜70年代の日産ワークスの両エース。R380-IIは砂子塾長(智彦)がドライブしたが、彼の父であり、R380-IIの原型となるR380で66年グランプリに優勝した砂子義一が場内放送でマシン解説を務めるという豪華版である。

コーナリング時のダウンフォースを増し、車体を安定させるためにサスペンションと連動して動く左右分割式の「エアロスタビライザー」と呼ばれるウィング(エアロスポイラー)付きのR381。ウィング付きのマシンであるチャパラルにちなんで「怪鳥」と呼ばれたR381がその翼をはばたかせるのは、68年グランプリ以来じつに37年ぶり。R380-IIが最後に公の場で走ってからも、おそらくそれとさほど変わらない歳月が流れている。

それらの3台に加えて、かつてこの富士で激突したライバルである「トヨタ7」が当時ワークスドライバーだった鮒子田寛(ふしだ・ひろし)のドライブで「友情出演」。サーキットオーナーであるトヨタの協力による粋な演出に、集まった日産ファンも大いに拍手を贈っていた。

デモラン後、インタビュアーに対して思い出のマシンを操ることのできるうれしさを口にする高橋、北野両氏に対して、現役である砂子選手が「ドライブするのは光栄だけど、こんな恐ろしいクルマで30度バンクに飛び込んでいたなんて……」と語っていたのが印象的だった。

この日は全国的に荒れ模様の天気だったそうだが、富士も朝から空は鉛色で気温はいっこうに上昇せず、かなり寒かった。
R380シリーズのデモランが始まる午前11時過ぎからチラホラと白いものが舞い始め、走行が終わるとほぼ同時に本降りに。たちまちコースはウェット状態となってしまい、安全性確保のため次のプログラムである「模擬レース1回目」以降はペースカーの先導によるパレードランへと変更を余儀なくされてしまった。

それでも予定されていたプログラムは、フィナーレに至るまでキャンセルされることなくすべて行われたが、参加したドライバー、関係者、そして2万7100人と公式発表された来場者のみながあいに くの空模様に震えあがった1日だった。

とはいえ目玉だった R380シリーズのデモランが滞りなく行われたことは不幸中の幸いというべきだろう。来年は中止となってしまった70年日本グランプリ用に開発された幻のマシン「R383」を走らせたい、とコメントしていた参加ドライバーがいたが、それは我々ファンも望むところだ。ぜひとも実現してほしいものである。

(文と写真=田沼 哲)

3年ぶりの開催は雪の中、「NISMO FESTIVAL @ FUJI SPEEDWAY 2005 RETURNS」に2万7100人の画像

パドックで待機する「クラシックカーパレード」の参加車両。S54B、ハコスカ、ケンメリなどのスカG、510ブル、SR311フェアレディ、初代S30Z……旧車の世界で圧倒的な人気を誇る日産車だけに、ご覧のとおりのボリューム。

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メインストレートで「直ドリ」を披露する「ドリフトX-TREMEショー」の参加車両。だが8台中現行車種はZ33が2台のみ。今後、ベース車両不足はますます深刻化する?

メインストレートで「直ドリ」を披露する「ドリフトX-TREMEショー」の参加車両。だが8台中現行車種はZ33が2台のみ。今後、ベース車両不足はますます深刻化する?

暴力的なまでのサウンドと濃いガスの臭いをまき散らしながらウォームアップ中のR380、R381、R382。

暴力的なまでのサウンドと濃いガスの臭いをまき散らしながらウォームアップ中のR380、R381、R382。

R380-IIの直6DOHC24バルブ2リッターエンジンを調整するメカニック。レストアおよびチューニングを担当しているのが、実際にマシン開発およびレースに携わった人々であるところがすばらしい。

R380-IIの直6DOHC24バルブ2リッターエンジンを調整するメカニック。レストアおよびチューニングを担当しているのが、実際にマシン開発およびレースに携わった人々であるところがすばらしい。

現役時代のトレードマークだった黒いジェットヘルを被り、R381のコクピットに収まる北野元(左)と、余裕たっぷりでR382のステアリングを握る高橋国光(右)。(写真=吉岡卓朗/NAVI)

現役時代のトレードマークだった黒いジェットヘルを被り、R381のコクピットに収まる北野元(左)と、余裕たっぷりでR382のステアリングを握る高橋国光(右)。(写真=吉岡卓朗/NAVI)

サスペンションに連動して動き、コーナリングフォースを増す左右分割式の「エアロスタビライザー」を羽ばたかせてヘアピンを行くR381。

サスペンションに連動して動き、コーナリングフォースを増す左右分割式の「エアロスタビライザー」を羽ばたかせてヘアピンを行くR381。

67年グランプリではアクシデントに巻き込まれたこともあって勝てなかったものの、性能的にはポルシェ906カレラ6といい勝負だったR380-II。

67年グランプリではアクシデントに巻き込まれたこともあって勝てなかったものの、性能的にはポルシェ906カレラ6といい勝負だったR380-II。

R381とR382のランデブー走行に、同時代の最大のライバルだったトヨタ7がからむ。オールドファンにはたまらない光景である。

R381とR382のランデブー走行に、同時代の最大のライバルだったトヨタ7がからむ。オールドファンにはたまらない光景である。

R380シリーズのデモラン終了とともに本降りとなった雪のせいで、コースはたちまちご覧のようなコンディションに。これで模擬レースはパレードランへの変更を余儀なくされた。

R380シリーズのデモラン終了とともに本降りとなった雪のせいで、コースはたちまちご覧のようなコンディションに。これで模擬レースはパレードランへの変更を余儀なくされた。

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