第76回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その5)(矢貫隆)

2005.11.26 エッセイ

第76回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その5)(矢貫隆)

薄い緑を被った山肌に、鹿の姿を見た。

■僕たちへの警告

1反は300坪で約992平方m。その10倍が1町歩で99.2アール。100アールが1ヘクタールだから、一町歩は、ほぼ1ヘクタールと考えていい。つまり松木村の20町歩の農地とは、たとえるなら東京ドームのグラウンドと客席を合わせた面積の4倍以上の広さに相当する。

これだけの面積の農地が全滅したのだ。生きていく術を失った松木の住人たちが、住み慣れた村を捨てなければならなかったのは選びようのない選択の結果だったというべきだろう。

山々への煙害被害も大きかった。
足尾周辺の山で乱伐された山林面積は1893年(明治26年)の段階で6760町歩だったというが、その理由の第一は、木材が銅の精錬を行うボイラーの燃料となったからである。そして、この年の足尾の山々の無立木面積は、乱伐以外によるものも含めると1万3000町歩にも及んでいた。
要するに、まったく木を失った1万3000町歩は、乱伐と山火事と、松木村を滅ぼしたのと同じ煙害によってもたらされていたのである。

「酸性雨、恐るべし……ですね」
確かに。

「煙害に関する足尾鉱毒事件と自動車の接点が見えてきました。ディーゼル車の排ガスに含まれるNOxが酸性雨の原因物質であるといわれて久しいわけですけど、本当の恐ろしさは現実のこととして意識できない。松木村は、その姿をもって僕らに訴えているのかもしれませんね。酸性雨を実感できずにいる僕たちへの警告なんですよ」

立派になったな、A君。
とかいっているうちに、僕たちはもう少しで松木村跡という地点までやってきていた。(つづく)

(文=矢貫隆/2005年11月)

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矢貫 隆

矢貫 隆

1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、 多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。 自動車専門誌「NAVI」(二玄社)に「交通事件シリーズ」(終了)、 同「CAR GRAPHIC」(二玄社)に「自動車の罪」「ノンフィクションファイル」などを手がける。 「自殺-生き残りの証言」(文春文庫)、「通信簿はオール1」(洋泉社)など、著書多数。