【FN 2005】彗星のごとくあらわれた新人、ロニー・クインタレッリ(前編)

2005.10.04 自動車ニュース

【FN 2005】彗星のごとくあらわれた新人、ロニー・クインタレッリ(前編)

シーズンもいよいよ大詰めに差しかかった2005年のフォーミュラ・ニッポン。開幕戦でディフェンディング・チャンピオンであるリチャード・ライアンが勝利し、以後、これを追うように、昨年までの上位陣が表彰台の真ん中に収まっている。
だが、シーズン後半に入り、新たな動きが生まれた。それは、ひとりの新人ドライバーの登場によるものだった。

ロニー・クインタレッリ、26歳。フォーミュラ・ニッポン(以下FN)にレースデビューしたのは、6月4日の第4戦富士。それから2ヶ月もしない7月31日の第6戦美祢で、彼は2位入賞を果たした。今シーズンのルーキードライバーとして快挙といっていい。わずか3戦目にして表彰台を手に入れた彼の、これまでの歩みに触れてみよう。

■はじまりは、元F1ドライバーとの出会い

クインタレッリが日本でF3デビューしたのは2003年。シリーズ4位の成績を残し、翌年には8回の優勝を遂げてチャンピオンとなった。

当時所属していたのは、山口県徳山にあるインギングモータースポーツ。優勝請負人として外国人ドライバーを迎え入れるF3チームが存在するいっぽうで、インギングは国内外問わず成長する可能性のあるドライバーを2年越しで育成することをコンセプトに、レースへの挑戦を続けている。クインタレッリがこのチームに加入したのは、2002年のことだった。

当時のクインタレッリは、カートでヨーロッパチャンピオンの称号を得た後、母国イタリアでのフォーミュラ・ルノー2000シリーズで四輪デビュー。だがシリーズチャンピオンを逃し(フェリッペ・マッサがチャンピオン)、ワークスからのサポートを得られずに再びカートへと活動の場を戻していた。

「最終戦までタイトル争いをしていたんだけど、結果はシリーズ3位。当時、自己資金で参戦していたボクは大きなスポンサーを持っていなかったから、ヨーロッパF3にも行けなかった。次の年も家族のサポートでユーロシリーズに参戦したものの、結局資金不足で辞めざるを得なかったんだ」とクインタレッリ。

失意の中で復帰したカートレースだったが、ここで日本への足がかりを見つけることになる。「とある人がボクをインギングに紹介してくれたんだ。彼との出会いは本当にラッキーだったと思う。でなければ、きっと今もボクはカートコースを走ってただろう」。

“とある人”とは、インギングのドライバーコーディネータを務めるピエール・アンリ・ラファネル氏をいう。かつてのF1ドライバーであり、日本でもツーリングカーやGT選手権で活躍した経験のある氏の誘いに、ふたつ返事をしたクインタレッリ。初年は「GC21」という旧型F3シャシーにカウルを被せたワンメイクカーレースへ参戦するに留まったが、参戦2レース目にして優勝をさらった。

■運のいいドライバー

「彼が走るとコースコンディションがよくなったり、天気が好天したり、不思議なパワーを持つ子だなぁ、と思いました」と言うのは、インギングの代表である卜部治久氏。
翌年、F3にデビューを果たした後も、クインタレッリに対する評価が下がることはなかった。
「運のいいドライバーだと思いますね。自然に環境が整っていく、とでも言うのでしょうか。また、自分が何をすべきなのかをよく理解することができる子です。今、マシンをどうすれば速くなるのか、不足している部分を的確にエンジニアにフィードバックし、自分のドライビングスタイルでよくない部分があれば、すぐに修正できるタイプなので、初レースでもコンディションに合わせたメニューを消化することができるんです」。

大半の外国人ドライバーは、欧米でのF3参戦を経て、日本のF3に挑むケースが多い。しかし、クインタレッリは日本でF3デビューを果たした。かつてカートのワールドカップで鈴鹿に遠征した経験はあったが、活動の拠点を日本に移してF3を闘うには、相当なプレッシャーが伴ったのではなかったのか。

「とんでもない。日本に行きたくないか?って聞かれて即ふたつ返事をしたよ。チャンスを掴んだ、っていうことだけでうれしかった。早くマシンをドライブしたくて仕方なかったね。四輪レースができるという気持ちだけでとてもハッピーだったんだ。今年、FNのチャンスが巡ってきたときも同じだよ」。
ルノーでのたった一度のチャンスを取り損ねた悔しさを知るからこそ、巡ってきたチャンスを自然体で受け入れることができたのだろう。

来日以来、チームのある徳山に在住。今では、趣味のフットボールを通じて知り合った友達も少なくない。多くの外国人ドライバーが静岡県御殿場や東京近郊に住むことを考えれば、稀なことだ。
「ベローナの実家は、山の中のとても小さな村にあるんだ。だから東京に住むなんて考えられないよ。徳山でもボクの家より都会に思ってたくらいだから、御殿場のほうがまだ親近感があるね。この前、チームのファクトリーで寝泊りしたんだけど、“タタミルーム”が気に入ったよ。ファンタスティックだった!」と屈託ない。

■「F3でチャンプになったから、Fニッポンに乗れると思っていた。でも…」

F3フル参戦2年目は、終盤までタイトル争いがもつれにもつれたシーズンだった。ライバルはワークス体制だが、インギングはいわゆるプライベーター。さすがのクインタレッリも、「終盤の2戦くらいは、タイトルを意識してプレッシャーを感じたよ」と苦笑いしながら振り返る。

だが、卜部氏はこのハードな闘いを比較的冷静に見守っていたようだ。「よく“心技体”と言いますが、ロニーには速さに加え、メンタルの強さがありました。コースで飛び出すこともないし、その一方で“引く勇気”も持っていた」と分析する。

結果的に最多勝利の末、タイトルを獲得。そしてオフシーズンには、オーディションを兼ねてFNのマシンをテスト。参加した数名のドライバーの中で納得のいくタイムをマークし、自ら青写真――つまりはFNへのデビューを描いていた。

だが、“運の強い”クインタレッリでも、このときばかりはその願いを叶えることはできなかった。
彼に与えられたのは、スーパーGTへの参戦のみ。「F3チャンピオンになったし、テストでいいタイムを出したから、FNに乗れると思っていたのに結局シートはなかった。最初はなぜなんだ、ってとても落ち込んだけれど、一方ではスーパーGTに参戦するチャンスを与えてもらった。GTは日本のレース界でトップカテゴリーのひとつだし、プロとしての仕事ができるわけだから、ここで頑張ろうと思ったんだ。
「たしかにヨーロッパでもフォーミュラレースの話はあった。でも資金的に厳しかったし、レース自体のレベルも高いものじゃなかった。だから、FNへの思いを封印して、GTに専念することに決めたんだ」。

ところが、シーズン半ばにして思わぬチャンスが到来。それは一通のEメールから始まった。(後編へつづく)

(文=島村元子/写真=KLM Photographics J)

【FN 2005】彗星のごとくあらわれた新人、ロニー・クインタレッリ(前編)の画像

全日本F3選手権を闘うロニー・クインタレッリ。

全日本F3選手権を闘うロニー・クインタレッリ。

2004年、F3でタイトルを獲得。翌年6月の第4戦富士から、フォーミュラ・ニッポンへ参戦を始めた。

2004年、F3でタイトルを獲得。翌年6月の第4戦富士から、フォーミュラ・ニッポンへ参戦を始めた。

この記事の大きな画像を見るためには、画像ギャラリーをご覧ください。