【天国から、お久しぶり】波瀾万丈、「エンツォ・フェラーリ」ストーリー(後編)

2005.08.20 自動車ニュース

【天国から、お久しぶり】波瀾万丈、「エンツォ・フェラーリ」ストーリー(後編)

ご先祖様の精霊を迎え供養する日本の伝統行事、お盆にちなみ、自動車業界に多大なる功績を残した偉人たちをお迎えする「天国から、お久しぶり」の最終回。
世界中のスポーツカーファンから羨望の眼差しを集めるフェラーリ。創設者エンツォは、マラネロからラインオフしていくロードゴーイングカーをどう見ていたのか。

■レースをするための会社

(前編からのつづき) 戦後、1940年アルファと別れたエンツォは、念願であった自らのメーカーを設立した。1943年まではアルファ・ロメオとの契約でフェラーリの名称を使用することができなかったため、自身の会社を初めて興したときの名称は、アウト・アヴィオ・コストルツィオーニといった。

フェラーリが目指したのはレースをするための会社で、その資金を得るためにクルマの市販を始めたのだった。
したがって初期の生産モデルはデチューンしたレーシングカーであったり、時にはレースでの役目を終えたクルマを市販車に改装したものもあった。

現在にもそのスタイルは引き継がれ、レースでの活躍によって形成されたカリスマゆえ市販車が飛ぶように売れ、それで得た潤沢な資金がレースに使われている。


エンツォ亡き後のフェラーリ黄金期を築いた面々。社長兼CEOのルカ・ディ・モンテゼーモロ(左から2人目)を筆頭に、その下で陣頭指揮をとるジャン・トッド(その右)、そして6年連続コンストラクターズタイトルを勝ち取った立役者、ミハエル・シューマッハー(一番右)とルーベンス・バリケロ(一番左)。(写真=フェラーリ)

■あまりにも有名な言葉

フェラーリのチーム初優勝は1947年のローマのカラカラ・サーキットでのものだ。そして1949年にはルマンで念願の初優勝を果たし、一躍世界にフェラーリの名を知らしめた。
1951年7月には、F1アルゼンチンGPでフロイラン・ゴンザレスが、とうとう古巣のアルファ・ロメオを破って優勝を果たした。そのときにエンツォが残した「私は母親を殺してしまった」という言葉はあまりにも有名である。

1960年代半ばには、フェラーリのブランドとレースでの組織力を求めたフォードが買収を計画したが、失敗に終わり、奮起したフォードがGT40を生み出し、悲願のルマン制覇を遂げた。

その後のフェラーリのF1やスポーツカーレースでの活躍はご存知のとおりである。

1988年8月14日年死去。

(文=SuperCG)

【天国から、お久しぶり】
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波瀾万丈、「エンツォ・フェラーリ」ストーリー(後編):
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