【天国から、お久しぶり】偉大なるオヤジさん、本田宗一郎(後編)

2005.08.16 自動車ニュース

【天国から、お久しぶり】偉大なるオヤジさん、本田宗一郎(後編)

ご先祖様の精霊を迎え供養する日本の伝統行事、お盆にちなみ、自動車業界に多大なる功績を残した偉人たちをお迎えする「天国から、お久しぶり」。大メーカー「ホンダ」の創立者、本田宗一郎氏にまつわる、こんなエピソード。

■3つの大きな業績

(前編からのつづき) 戦後は、戦火で破壊された東海精機をトヨタに売却。1946年(昭和21年)、浜松市に本田技術研究所を開設。翌年11月にはA型自転車用補助エンジンの生産を開始した。
この自転車用補助エンジンとは、小型のエンジンを改造した自転車のフレームに搭載するもので、まだクルマはもちろんバイクさえ庶民には夢の存在だった戦後間もない日本人の足となったのだ。1948年(昭和23年)には本田技研株式会社を設立した。

本田宗一郎氏の業績は数え切れないが、大別すれば3つの分野に分類できる。二輪、四輪、そしてモータースポーツである。
つまり、庶民の足としての二輪車の開発と普及。自動車産業への進出。そしてモータースポーツへの積極的な参加だ。

自転車エンジンの製作から始まるホンダの二輪車は、やがて世界へと躍進し、日本のメーカーとして初めてマン島TTレースでの優勝を果たし、その後、世界の二輪車産業のリーダーとなった。

1963年には四輪生産に進出し、翌64年8月にはF1グランプリへの挑戦を開始している。日本初の国際サーキットである鈴鹿サーキットも、1963年に宗一郎氏の発案で誕生した。


小さなネジでも見逃さない宗一郎氏の鋭い洞察力。プラスネジが生産効率を上げることに寄与したことは言うまでもない。ちなみに写真はホンダの原付レジャーバイク「エイプ」のもの。

■宗一郎の洞察力

本田氏にはさまざまなエピソードがあるが、今回はその中のひとつを紹介しておこう。1952年(昭和29年)、マン島TTレースとヨーロッパの自動車産業を視察してきた宗一郎氏は、プラグやスポークなどの部品をたくさん買って来た。

この時、宗一郎氏は迎えに出た女房役の藤沢武夫副社長に「これ、拾ってきたよ」と、ポケットの中からプラスネジを取り出したという。
それまで日本ではマイナスネジしか使われていなかった。マイナスネジは手作業で締めるが、プラスネジなら圧縮空気による機械作業で締めることが可能で、これを採用すれば飛躍的に生産効率の向上が可能になる。
どこかの工場に落ちていた1本のネジの価値を見抜いた宗一郎の洞察力が、生産性の飛躍的な向上に繋がったのだ。

1991年8月5日、肝不全のため亡くなった。

(文=SuperCG)

【天国から、お久しぶり】
偉大なるオヤジさん、本田宗一郎(前編):
http://www.webcg.net/WEBCG/news/000017029.html
偉大なるオヤジさん、本田宗一郎(後編):
http://www.webcg.net/WEBCG/news/000017032.html
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http://www.webcg.net/WEBCG/news/000017034.html
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http://www.webcg.net/WEBCG/news/000017037.html
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波瀾万丈、「エンツォ・フェラーリ」ストーリー(後編):
http://www.webcg.net/WEBCG/news/000017061.html

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