【天国から、お久しぶり】偉大なるオヤジさん、本田宗一郎(前編)

2005.08.15 自動車ニュース

【天国から、お久しぶり】偉大なるオヤジさん、本田宗一郎(前編)

ご先祖様の精霊を迎え供養する日本の伝統行事、お盆にちなみ、自動車業界に多大なる功績を残した偉人たちをお迎えする「天国から、お久しぶり」。一人目は、一代で世界に名だたる大自動車メーカーを築き上げた「ホンダ」の創立者、本田宗一郎氏(1906年(明治39年)〜1991(平成3年))。

■T型フォードに心を奪われた

本田技研の創立者本田宗一郎氏は、1906年(明治39年)11月17日、静岡県磐田郡光明村で、鍛冶屋を営む父儀平の長男として生まれた。

幼い頃から機械好きで、ある時、近所の子供たちと川遊びを楽しんでいた幼い宗一郎は、大きな音をたてて村を訪れたT型フォードに心底驚き、そして心を奪われた。
日本にクルマが初めて入ってきてまだ十年あまり、まだ簡単にクルマに出会うことなどなく、もちろん宗一郎が初めて見る自動車であった。この自動車との出会いが、本田技研の誕生に繋がるのだ。

1922年(大正11年)に上京し、本郷湯島にあった自動車修理工場のアート商会に見習いとして入社した。以来、本田宗一郎はエンジン付きの乗り物と生涯をともにすることになる。
アート商会の主人、榊原郁三氏は自動車レースに興味をもち、大正時代に日本で始まったばかりのレースにクルマを製作して参加を目指した。宗一郎氏も榊原氏の助手としてレーシングカー造りにあたった。現在、ホンダ・コレクションホールに収められている「カーチス号」は、アート商会時代に宗一郎氏が製作に携わったクルマだ。


自動車修理工時代、宗一郎青年が製作に携わったレーシングカー「カーチス号」とともに。
ドライバーはともにレーシングカーの製作に当たった榊原氏の弟、真一氏。宗一郎氏はライディング・メカニックを務めた。

■学力不足を痛感し聴講生に

アート商会での年季奉公を終えた宗一郎氏は1928年(昭和3年)に、浜松に帰ってアート商会浜松支店を開業した。東京時代に魅了された自動車レースへの情熱は醒めやらず、フォードの4気筒エンジンに自作のスーパーチャージャーを装着したレーシングカーを製作している。

1936年に工場を閉鎖すると、ピストンリングの製造を行うべく東海精機を設立した。だが、ピストンリングを製造するにあたって、自身の学力不足を痛感した宗一郎氏は、社業を営む傍ら浜松高等工業専門学校に聴講生として入学し、技術を学んだ。(つづく

(文=SuperCG)

【天国から、お久しぶり】
偉大なるオヤジさん、本田宗一郎(前編):
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