第63回:「仕事は遊び!」(偶然)川本元ホンダ社長に最接近!!今だから聞けるなんてことない雑談

2003.09.03 エッセイ

第63回:「仕事は遊び!」(偶然)川本元ホンダ社長に最接近!!今だから聞けるなんてことない雑談

この方が川本信彦さん。現在は特別顧問をなさっている。まだまだ現役バリバリって感じでした。
この方が川本信彦さん。現在は特別顧問をなさっている。まだまだ現役バリバリって感じでした。

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■ホンダの“偉大なるカリスマ”

いやー、まいった。なにがって、突如ホンダの元社長、川本信彦さんと船に乗ることになってしまったのだ。とあるホンダさん主催の打ち上げで、ホンダ製船外機(エンジンのこと)が付いた船に乗ることになったのだが、メンバーリストに「川本」の二文字が。「まさかなぁ……」と思ってたら行ってビックリ、ご本人だった。海がお好きらしい。

川本さんといえば、初期のホンダF1エンジンや初代シビックを開発した“カリスマ・エンジニア”として知られる。と同時に、社長時代にF1復帰を決めた、ホンダらしい「強気のボス」としても有名である。
今の福井威夫社長から数えて前の前の社長さんで、調べてみると1990年から98年まで、長らくホンダのトップに君臨されていた。……ン? ってぇことは、俺がホンダにいた時代の社長か(私ホンダに半年ばかりいました)!

くぅ〜、俺も出世したもんだ〜。

コレがホンダの新しい船外機「BF225A」(225ps)。ラグレイト用の3.5リッターV6を積む“世界最大の船外機”だそうだ。
コレがホンダの新しい船外機「BF225A」(225ps)。ラグレイト用の3.5リッターV6を積む“世界最大の船外機”だそうだ。

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■率直で豪快

ってなわけで、めったに会えない偉大なるカリスマとの雑談の一部をちょびっと公開! 俺はあいも変わらず、子供のような質問ばかりしてたんだけどね。

小沢:ホンダ時代は、結局、いつが一番忙しかったんでしょう?
川本:そうだねぇ。今でも憶えてるのは入社4、5年目の正月かな。突然オヤジ(本田宗一郎氏)が「空冷もつくれ!」といい出してね。水冷のF1をつくり出した頃で、同時に3リッターの空冷もつくりました。V8のF1エンジンをね。本来1ヶ月ぐらいかかるところを、正月休みに一人で設計して、4、5日ほとんど寝た記憶がない(笑)
小沢:その頃が一番お忙しかった?
川本:忙しかったっていっても、ほとんど遊びだったからね。クルマをつくりたくってしょうがなかったから、仕事って意識はまったくない。あの時は正月あけて久米さん(当時のボス、川本さんの前の社長)に設計図をポンと渡したら、久米さんその後(あまりに完璧なんで)なんにもいえなくてね。「やった〜っ!」て感じでしたね(笑)
小沢:じゃ、忙しくなってきたのは社長になってから?
川本:そうですね。なんといっても当時社員だけで約10万人、家族も入れると30万人って人を食わせなきゃいけないから。特に、90年頃、売り上げが落ち込んだ時は大変でした。日米貿易摩擦が問題になった時期で、ブッシュをはじめ、当時クライスラーの社長だったアイアコッカとか、GMやフォードの社長が直接乗り込んできて……。
小沢:直接会社にきたんですか?
川本:そう。こちらにああしろ、こうしろといってくるんですけど「同じ条件をビッグスリーも飲むんであれば、こちらも飲む」と突っ張りまして。あの時はつくづく、「日本の政府ってのは政府の呈をなしてねぇな」と思いました。全然国民を守ってくれないから。

ってな具合。残念ながら一部しか紹介できないんだけど、あまりに率直で豪快なお人柄にビックリした次第であります。一番心に染みたのは、エンジニア時代の仕事を「遊び」といい切る部分。
いーやまいった。それこそ、俺の仕事なんて遊びのようなもんじゃないの。で、だからこそF1でも世界一になれたし、ホンダもビックな会社にもなったんだなぁって、つくづく思いました。凄い人は凄い! 当たり前だけどね。

(文=小沢コージ/2003年9月)

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小沢 コージ

小沢 コージ

神奈川県横浜市出身。某私立大学を卒業し、某自動車メーカーに就職。半年後に辞め、自動車専門誌『NAVI』の編集部員を経て、現在フリーの自動車ジャーナリストとして活躍中。ロンドン五輪で好成績をあげた「トビウオジャパン」27人が語る『つながる心 ひとりじゃない、チームだから戦えた』(集英社)に携わる。 ホームページ:『小沢コージでDON!』