スバルのラリードライバー、ポッサム・ボーン逝く

2003.05.01 自動車ニュース

スバルのラリードライバー、ポッサム・ボーン逝く

ラリーのアジア・パシフィック選手権などで活躍したニュージーランド人ドライバー、ピーター“ポッサム”ボーンが、2003年4月30日にニュージーランドの病院で亡くなった。享年47歳。
4月18日、出場を予定していたニュージーランドのヒルクライムイベント「レース・トゥ・ザ・スカイ」のコース視察中に正面衝突の交通事故に遭い、頭部、胸部、両脚を負傷。病院で懸命の治療を受けていたが、帰らぬひととなってしまった。

“ポッサム”の愛称で親しまれたボーンは、1979年にラリーデビューを果たした。ニュージーランド国内選手権で頭角をあらわし、1983年にはスバルとの関係をスタート。「レオーネ」を駆り同年世界ラリー選手権ニュージーランドラリーに出場し、14位に入った。

以後、スバルのラリー活動の中心となるドライバーとして数々のレースにエントリーし、1993年に「レガシィ」でアジア・パシフィック選手権(APRC)チャンピオンを獲得。翌年は「インプレッサ」でタイトル連取に成功、2000年には3度目の栄冠を手にした。

1994年の香港・北京ラリーでは総合優勝。またニュージーランド、オーストラリアの国内ラリー選手権でもスバル車で活躍しており、特にオーストラリア選手権では1996年から2002年まで7年連続チャンピオンを獲得する前人未到の大記録を打ち立てた。

日本では、2002年9月に北海道で行われたAPRC「北海道ラリー」でグループA仕様のインプレッサをドライブ、総合優勝を果たしている。

富士重工業(株)常務取締役で、スバルテクニカインターナショナル(株)の桂田勝代表取締役社長は、以下のようなコメントを残した。「ポッサムは、スバルのモータースポーツを語るときには欠かせぬ人物でした。それほどスバルにとって、大きな貢献を果たしてくれたドライバーだったのです。先日もニュージーランドで会い、今年の計画について話し合ったばかりで、それを思い出すと深い悲しみで言葉がありません。これまでの彼の偉大な功績を讃え、彼のスバルに対する貢献に感謝すると共に、心よりご冥福を祈ります。」

(webCG 有吉)

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