【アルペンラリー】東京セレモニアルスタートから

2002.10.22 自動車ニュース

【アルペンラリー】東京セレモニアルスタートから

今回で20回の節目を迎えた「日本アルペンラリー」は、25年のブランクを経て復活した2001年と同じく、スバル・インプレッサ駆る新井敏弘が圧勝し、2002年10月20日に幕を閉じた。
今回は、長い歴史ある大会の歴史を振り返るとともに、18日に行われた東京でのスタートの模様や、今後の課題などについて触れてみたい。


【写真上】スタートを見守るラリーファン
【写真下】「今年こそ」と意気込む田口勝彦

■紆余曲折の歴史

オールドファンのみぞ知る日本アルペンラリーの名が、25年ぶりに復活した2001年。国際格式ラリーイベントとして、WRC(世界ラリー選手権)マシンが日本を走る唯一のラリーイベントとして、注目を集めた。復活2年目の今年、大会が定着するための第1歩、東京での開催が実現。臨海副都心のセレモニアルスタート会場には約5000人が集結した。

しかし、この日本アルペンラリー、歴史を紐解くと、紆余曲折の道を歩んできたことが分かる。
第1回が開かれたのは今から43年前の1959年。当時は、レースというよりもクルマの耐久試験的な意味合いが強かったという。参加台数35台のうち、大半は外国車だったが、リザルトで上位を占めたのは予想に反して国産車だった。
年を追うごとにスポーツイベントらしい体裁が整い、第6回(1964年)からJAFの公認イベントに。それに伴い、しだいに競技性が高まり、メーカーチームのエントリーが増えていった。
1960年代後半、ルートは2000キロ、参加台数は100台を超える大イベントへと成長。スバル1000や三菱コルトなどのクルマで、現在ラリーを得意とするメーカーが、トヨタ、日産などの大メーカーを相手に善戦したのはこのころだ。だが1970年代に入り、オイルショックの影響や17回大会(1975年)での死亡事故など、アルペンラリーを取り巻く環境は徐々に厳しくなっていった。そして1976年の18回大会を最後に、日本アルペンラリーは長い冬眠期間に入った。
時は新世紀に入り2001年。日本では開催不可能と思われていた国際格式のラリーが開かれることになった。大会名は主催クラブの代表が「日本アルペンラリー」の第1回優勝者であることから、その名を引き継ぐこととなった。イベント名に「インターナショナル」を冠しての復活だった。


左から新井敏弘、田口勝彦、ポッサム・ボーン

■優勝候補、3選手


記念すべき20回大会の今年、優勝候補と目されていたのが、ディフェンディングチャンピオンの新井敏弘、そして田口勝彦、ポッサム・ボーンの3選手だった。

新井は、“ラリー王国”群馬出身の35歳。スバルワールドラリーチームのサードドライバーとして、2002年はWRC第7戦、第10戦に出場、7戦のアクロポリスで13位に入っている。新井は昨年のこの大会で、ただ1人WRカー(インプレッサWRC2001)を駆り、ぶっちぎりで優勝。今年も危なげなくレースを展開し、レースを制した。

田口は岡山出身で30歳。1999年、APRC(アジア・パシフィック・ラリー選手権)ドライバーズチャンピオンを獲得。今年は英国選手権で三菱ランサーエボリューションをドライブする、三菱のエースだ。昨年は新井の最大のライバルと言われながらも、レグ1のSS5で早々にリタイア。これまで国際格式ラリーに4回参戦しているが、一度も完走がないのがたまに傷。今年も、(やはり)序盤で姿を消してしまった・・・。

“グラベルの鬼”の異名をもつポッサム・ボーンは、ニュージーランド出身の46歳。過去4回APRCドライバーズチャンピオンを獲得、 今年9月5日から8日まで行われた「ラリー北海道」でも勝利している。
今回が15年ぶりのターマック。加えて、今シーズンのWRカーを駆る新井に対して、プライベーターのボーンは改造範囲が狭いクラスでの出場。劣勢は否めなかったが、見事、新井の後ろの2位でフィニッシュした。


日本で初公開された「スバル・インプレッサWRC2003プロトタイプ」

■トークショーなど、様々なイベント

臨海副都心で行われた東京セレモニアルスタートの会場では、トークショーなどさまざまなイベントが開かれた。
トークショーには、新井、田口、ボーン3選手がそろって登場。ボーンが「トシ(新井)がボクのクルマに乗って、ボクがトシのクルマに乗ればいい勝負になる」と振ると、新井が「それは大変なことだ!」と笑いながら答えるなど、終始リラックスしたムードだった。しかし、「優勝の自信はあるか?」との問いには、各選手とも真剣なまなざしで「もちろん」と答え、一瞬闘志を露にした。

また別の場所では、1996年から3年連続WRCマニファクチャラーズタイトルを獲得したスバルワールドラリーチームが、来年のモンテカルロラリーから実戦投入予定の「インプレッサWRC2003プロトタイプ」の日本初披露会を催した。
富士重工業の竹中恭二社長は、「インプレッサはスバルの“走り”の象徴。スバルは小さい会社だがレースにかける意気込みは誰にも負けない。来年は勝ちに行く」と力強く挨拶。2002年シーズン、開幕戦モンテカルロでしか勝ち星をあげられていない現状を打破すると誓った。
また、スバルのモータースポーツ系会社、スバルテクニカインターナショナル(STi)の桂田勝社長は、ニューマシンについて、「エンジンレスポンスや空力の改善など、チャンピオンのプジョーに追いつき、追い越すために開発した。来年は信頼性の向上を目指し、テストをより多くおこなう」と話し、打倒プジョーを宣言した。

その他にも、往年のラリーカーが走る「ヒストリックラリーカーパレード」なども開かれ、古くからのラリーファンの目を楽しませた。


上位選手の登場で、盛り上がりは最高潮に…

■お台場にSSを!

10月18日、臨海副都心の特設スタート会場は曇り。観客のなかには、会場に入れず、最寄駅の「船の科学館駅」から観戦する人までいた。
リバーススタートとなったため、注目選手のスタートは終盤。その間、観客からは「面白くない・・・」との声も聞かれたが、時間が進むにつれ会場は盛り上がり、最後に新井のインプレッサが登場すると、場内から歓声と拍手が沸き起こった。

コースは、駐車場のスペースに、パイロンを立てたもの。セレモニアルゆえ、なかにはショートカットして早々に切り上げるドライバーもいたが、上位選手は、グルグルと円弧を描く“ドーナッツ走行”などでファンサービスに徹した。

1時間半ほどでスタートは終了。満足そうな顔で帰宅する人々がいる一方で、「もっと走るところが見たかった」「こんなに短いとは思わなかった」とこぼすひとも。また、スタートに先立って行われた記者会見でも、選手から「お台場にSSを作ることができればもっと盛り上がる」との提案もあった。
今後は、APRCの1イベントとして開催されることを視野に入れながら、よりファンにアピールする大会づくりが望まれているのかもしれない。

(webCG 永瀧)

「インターナショナル日本アルペンラリー公式サイト」:http://www.alpine-rally.com/

この記事の大きな画像を見るためには、画像ギャラリーをご覧ください。