【F1日本GP】フェラーリ圧勝、佐藤5位入賞!

2002.10.14 自動車ニュース

【F1日本GP】フェラーリ圧勝、佐藤5位入賞!

F1世界選手権の2002年最終戦、第17戦日本GP決勝が、2002年10月13日、三重県の鈴鹿サーキット(5.821km)を53周して行われた。ミハエル・シューマッハーが優勝、ルーベンス・バリケロが2位に入り、フェラーリは今シーズン9回目の1-2フィニッシュを達成。記録づくしの1年を有終の美で飾った。
3位キミ・ライコネン(マクラーレン・メルセデス)、4位ファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズBMW)に次ぐ5位に、ジョーダン・ホンダの佐藤琢磨が入り、初入賞、2点を獲得した。
6位は序盤佐藤を追いまわしたジェンソン・バトン(ルノー)、最後の1点を手に入れた。
以下、7位ニック・ハイドフェルド(ザウバー・ペトロナス)、8位ミカ・サロ(トヨタ)、9位エディ・アーヴァイン、10位マーク・ウェバー(ミナルディ・アジアテック)が完走した。

■鈴鹿は、アツかった

「ああ、これがシューマッハー&フェラーリの強さだったのか」。気温27度、10月中旬とは思えない暑さのなか、鈴鹿に集まった15万人の観客は、紅い跳ね馬の圧勝を目の当たりにし、改めてこう思ったに違いない。

通算50回目のポールポジションからスタートしたシューマッハーは、僅か1周で2位バリケロに対し2.2秒もリード。その後、1周につき1、2秒も速いラップタイプで後続を引き離し、完勝した。

しかし、15万人をアツくしたのは、黄色いマシンを駆る佐藤琢磨だった。
予選で、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズの“三強”に次ぐ7番手のタイムを記録。目指せ初入賞、そして初表彰台!と、母国のファンの期待はヒートアップしていった。
レースでは、スタートの1コーナーでヤルノ・トゥルーリのルノーを抑え、7位を死守。デイヴィッド・クルタード(マクラーレン・メルセデス)のリタイアに助けられ、早々にポイント圏内の6位にステップアップした。だが、ルノー2台が真後ろに迫る緊迫した展開が続いた後、最初のピットストップでトゥルーリ、バトンにかわされ8位にまで落ちた。

しかし、佐藤はあきらめなかった。1周1周を着実にこなし、ピットクルーの迅速な作業にも後押しされ、2回目にピットアウトしたときは、再び6位についた。残り4周、3位を走行していたラルフ・シューマッハーのウィリアムズBMWが「デグナー」カーブで失速しリタイア。順位は、なんと5位。

暑さのせいか、オリヴィエ・パニス、ジャック・ヴィルヌーヴのBARホンダ、そしてチームメイトのジャンカルロ・フィジケラと、ホンダエンジン勢をはじめ各車が相次いでトラブルに見舞われた。佐藤の最大の敵は、メカニカルトラブル。どうか壊れないでこのまま終えてほしい、という観客の願いが届いたか、No.10のジョーダン・ホンダは無事に53周を走りきった。
ゴールラインを過ぎた佐藤は、両手を上げて何度もガッツポーズ。スタンドは、拍手と、揺らめく旗と、歓声で健闘を称えた。

「本当に信じられません! 1ポイントが精一杯だと思っていたのに、2ポイントも獲得できて、チームにとっては最高の結果となりました」。興奮さめやらぬ佐藤のコメントは、この2点がチームにとって価値あるものだということを示唆する。

前戦アメリカGPまで、ジョーダンチームはコンストラクターズランキングにおいて、ジャガー(6位8点)の後ろ、同じホンダエンジンを積むBARと同点の7点で7位に位置していた。ジャガー、BARともノーポイントで終わった今回、ジョーダンは堂々の6位でシーズンを終えることができた。この順位は、来シーズン、ジョーダンが手にすることのできる“特典”(旅費などの支給)を確約したことになる。

「観客席は信じられないような雰囲気で、僕が通り過ぎるたびに熱心に旗や手を振ってくれましたし、それらすべてを僕は見ていました。本当に感動的で、声援を送って下さった皆さんには心から感謝しています」。
母国GPという、ただでさえ大きなプレッシャーと戦わなければならなかった佐藤は、それを見事に跳ね除け、素晴らしい結果を残し、F1ドライバーとしての1年目を締めくくった。

■孤軍奮闘、サロ

土曜日に行われた予選、トヨタのアラン・マクニッシュは、高速コーナー「130R」で大クラッシュし、セッションは1時間以上にわたり赤旗中断された。
マクニッシュは以降予選に出走できず。翌日、決勝前のウォームアップ走行で13番手につけたものの、53周のレースにはドクターストップがかかり、レースは棄権せざるをえなかった。
「レーシングドライバーとして、今日のレースは、本当に戦いたかった。とても残念であり、チームや日本の大勢のファンには、本当に申し訳なく思っている」。
トヨタF1をデビュー前から支えてきた立役者に、来シーズンのシートは用意されていない。32歳で遅咲きのGPデビューを果たしたマクニッシュ。悔しさ残る最終戦となった。

一方のチームメイト、サロも、トヨタに乗るのは今年限り。1991年から1994年にかけて全日本F3000で走りこんだ鈴鹿で、タイヤや制御センサーなどのトラブルに見舞われながらも、ステディな走りを披露した。
「上位入賞は逃してしまったが、パナソニック・トヨタ・レーシングでの最後のレースを完走できて満足している」。
35歳のフィンランド人は、トヨタ初の母国GPで、8位完走という置き土産を残した。

トヨタは、サロが6位×2で獲得した2点で初年度を終えた。

■フェラーリ・イヤー

いまさらいうまでもなく、2002年はフェラーリの強さが突出したシーズンだった。
チームとしてみると、17戦15勝は、1988年、アイルトン・セナとアラン・プロスト駆るマクラーレン・ホンダが記録した勝利数に並ぶもの(1988年は全16戦)。8月の第13戦ハンガリーGPで4連連続、史上最多の12回目のコンストラクターズタイトルを獲得。シューマッハー、バリケロがドライバーズランキング1-2位独占。
得点は221点で史上最多(なんと他の全チームの得点をあわせたものと同じ!)、全戦ポディウムフィニッシュはもちろん、過去53戦、一度も表彰台から落ちたことはないというのも偉大な記録だ。

ミハエル・シューマッハーは、ファン・マニュエル・ファンジオの持つ最多タイトル獲得数タイの5度目のワールチャンピオンを獲得、しかも7月の第11戦フランスGPで史上最速のタイトル奪取に成功した。
年間11勝、獲得ポイント144点(1レースで平均8.47点!)は歴代1位。また通算64勝で史上最多勝記録を更新中、通算ポイント数は945点で史上最多・・・とにかく枚挙に暇がないほど多くの記録が生まれた1年だった。

フェラーリの圧倒的な強さを前に、F1を司るFIA(国際自動車連盟)は、ルール面での変更を考えている。勝ったマシンにバラスト(重り)を積ませるなど、常勝フェラーリを抑えることを目的としたことが明白な、極端なルールチェンジを提案している。

しかし、ルールを守っている以上、勝ちすぎるからという批判は成立しない。史上稀にみる強敵を前に、ライバルチームがどう戦いを挑むか・・・すべては競争にかかっているのだ。
ルールはフェアなプレーを行うためにあるべきであり、決してある特定のチームの足を引っ張るためのものではない。
2003年、他チーム、ドライバーの巻き返しこそ必要とされているのではないだろうか。

■2002年シーズン結果

●ドライバーズランキング
1位 ミハエル・シューマッハー 144点
2位 ルーベンス・バリケロ 77点
3位 ファン・パブロ・モントーヤ 50点
4位 ラルフ・シューマッハー 42点
5位 デイヴィッド・クルタード 41点
6位 キミ・ライコネン 24点
7位 ジェンソン・バトン 14点
8位 ヤルノ・トゥルーリ 9点
9位 エディ・アーヴァイン 8点
10位 ジャンカルロ・フィジケラ 7点
10位 ニック・ハイドフェルド 7点
12位 フェリッペ・マッサ 4点
12位 ジャック・ヴィルヌーヴ 4点
14位 オリヴィエ・パニス 3点
15位 ハインツ-ハラルド・フレンツェン 2点
15位 ミカ・サロ 2点
15位 佐藤琢磨 2点
15位 マーク・ウェバー 2点
19位 エンリケ・ベルノルディ 0点
19位 アンソニー・デイヴィッドソン 0点
19位 ペドロ・デ・ラ・ロサ 0点
19位 アラン・マクニッシュ 0点
19位 アレックス・ユーン 0点

●コンストラクターズランキング
1位 フェラーリ 221点
2位 ウィリアムズ 92点
3位 マクラーレン 65点
4位 ルノー 23点
5位 ザウバー 11点
6位 ジョーダン 9点
7位 ジャガー 8点
8位 BAR 7点
9位 アロウズ 2点
9位 ミナルディ 2点
9位 トヨタ 2点

(webCG 有吉)


予選7位、決勝5位。苦戦が続いた佐藤琢磨のF1デビューイヤーは、母国GPで最良のカタチで終わった
(写真=本田技研工業)


レース後、チームクルーに祝福される佐藤琢磨
(写真=KLM Photographics J)


トヨタの国、日本で、ミカ・サロは、レース前のチームの目標である完走(8位)を成し遂げた
(写真=トヨタ自動車)


フェラーリは、53戦連続のポディウムフィニッシュ達成。この記録はどこまで続くのか?
(写真=KLM Photographics J)


2002年シーズンも鈴鹿でおしまい。来シーズン、フェラーリを打倒してくれるのはどのドライバー/チームか?
(写真=トヨタ自動車)

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