渋谷で祝ったルノーの100周年

1998.12.25 自動車ニュース
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渋谷で祝ったルノーの100周年(12/25)

「ルノー100周年イベント」が12月23日、東京で開かれた。ルノー第1号車がパリの街を走ったのが1898年12月24日、ということを記念してのイベントだ。

東京・渋谷の国立代々木第2体育館横イベントスペースにおいて開かれた「ルノー100周年イベント」。これは、ルノーの創始者ルイ・ルノー(1877〜1944)が1891年にドライブシャフトを開発し、兄のマルセル・ルノーと一緒にルノー最初のクルマを走らせたのが1898年のクリスマスイブ、ということを記念してのものだ。

同種のイベントは本国フランスでも今年の5月8日から10日の3日間、盛大に行われた。ルノー旧車保存会なる本社内の組織がを仕切ったそうである。今回、日本で行われたこのイベントは、気心の知れたルノー仲間が集まり、「ルノー100周年を祝う会実行委員会」と銘打って、交通遺児のチャリティも兼ねながら企画したものである。

渋谷公園通りを上がりきったところ、NHKホールの隣に黄色地に黒の字で「RENAULT」と書かれた旗がたなびき、来場者を迎えてくれた。会場内の駐車スペースには、新型ルーテシアから1950年代のモデルまで幅広く並べられていた。ショップや個人がルノーグッズやパーツの即売をしており、そちらも客を集めていた。

クルマとしては、「ビーチボーイズのソリマチくんのクルマ」としてこのところ若い女性の人気を集めている「4(キャトル)」が一番多かった。それも、珍しい「プレネール」と名づけられたドアすらないというフルオープンのモデル(「ビーチカー=海岸で乗るクルマ」と呼ばれた)をはじめ、オリジナルコンディションがジマンのかなり初期型モデル(1962年型「4シュペール」)、側面に籐の模様をペイントしたシャレた感覚の「パリジェンヌ」など、ちょっとした博物館状態だった。これも日本の「4通」の底力である。

いっぽう、モータースポーツ系参加車も充実しており、マニアにはたまらない「アルピーヌA110」のワークスカーが4台並び、人々の目をくぎ付けにしていた。アルピーヌのワークスカーというと、いわゆる「アルピーヌブルー」が有名だが、黄色のワークスカーも2台持ち込まれていた。そのうち1台は1975年にF1でお馴染みのジェラル・ラルースがサンレモラリーでドライブし3位に入ったクルマであった。

そのオーナーであり、スポールスパイダーの販売などを行なってルノーのモータースポーツ活動に造詣の深い「SIFO」の藤井照久さんにカラースキーム変更の理由を尋ねたところ、1975年にアルピーヌ社がルノー傘下に入ったことによって、アルピーヌブルーが使えなくなり、ルノースポールのイメージカラーである黄色への塗り替えを強要(?)された結果だそうだ。フュエルリッドの裏はブルーの塗装が残っているのを見られるなど嬉しい体験が出来たのも、このようなフランクなイベントの魅力だ。

藤井さんは、メガーヌのワンメイクレース「Megane Coupe(クープ)」用のコンプリートカーも会場に持ってきていた。赤のボディと同色のロールケージをもち、シーケンシャルトランスミッションとチューニングされたエンジンが搭載されている。エンジンマウントやサスペンションもそうとうに強化されているようだ。このコンプリートカーを「SIFO」では380万円で販売している。

私がもっとも興味を持ったのは、フランス車のコレクターとしてマニアの間では有名な土谷雅美さんが持ち込んだ「ルノードフィン」(1958年型)である。右ハンドルのイギリス仕様で、なんと電磁クラッチ付きのセミATである。ユニークなメカニズムで、アクセル開度を電流値に変え、メカニカルな摺動抵抗器を介してクラッチのプレッシャープレートをコントロールするシステム(と私には見受けられた)を採用している。発進やシフトをスムーズに行えるように考慮されているのも興味ぶかい。このクルマで当日佐久から走ってきた土谷さんは、「マニュアル車よりも乗るのが大変だよ」と言っていた。

晴天に恵まれたこともあり、会場にはルノーファンをはじめ多くのひとが訪れていた。「ルノーは日本車にない魅力をもっている。新旧どんなモデルでもいいから一度乗ってみると楽しいはず」(前出・藤井さん)という声がどれだけのひとたちに届いたかはさだかではないが、こういう楽しいイベントを定期的にやっていくうちに、ルノー好きは確実に増えていくだろう。(報告 松本英雄)

写真は土谷雅美さん(ドフィンの電磁クラッチの構造を集まったひとたちに説明している)

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