テレビが放映しなかったルマン

2000.06.23 自動車ニュース
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テレビが放映しなかったルマン(6/23)

車検からレースまで、丸1週間にわたってルマンを追いかけた武田リポーターと須藤カメラマン。TVでは一部にしかフォーカスが当てられなかったが、一部始終を見てきた彼らに、今年のルマンのすべてを帰国後ただちに語ってもらった。

■アウディ完全優勝を支えたもの
今年のルマンはアウディの完全優勝で幕を閉じた。1台のペイノズに首位を譲ったのは、レース開始直後にペースカーが入った数十分だけ。午前3時前には早くも1−2−3体制を築き、その後は別次元のペースで周回を重ね、日曜午後4時には、4位以下に実に20ラップ以上の差をつけてフィニッシュしたのである。

アウディの勝利はレース開始前から確実視されていたといってもいいが、これほどまでにアウディが強かったのは、なぜだろうか。ライバルの不在、メインテナンスを担当したヨースト・レーシングの豊富なルマン経験、万全の準備、豪華なドライバー布陣など。ルマンに勝つためのさまざまな要素がすべて揃っていたことは間違いない。なかでも注目すべきは、アウディR8に採用された、モジュラー方式でドライブトレーンなどを一体で交換できるシステムだ。今回はこのおかげで、1台がギアボックス交換のピットストップをなんと6分20秒で済ませることに成功している。他のマシーンは少なくとも20分はかけていたところだ。壊れても大丈夫ということで、もともと速いマシンがよけいに思う存分とばしてしまえるのだから、マシーンをいたわって抑えに抑えて走っていた他のチームが歯が立たなかったのは当然だ。このモジュラーで交換するという考え方は、昨年のトヨタなども取り入れていたが、ここまで素早い交換はできなかったようである。

■活躍した日本人はほかにもいる
今年のルマンは、日本人にとっては悪くないルマンだった。そもそもあのテレビ朝日チームの2台も、さんざんな厳しい状況の中で、6位と8位入賞を果たしたのは、幸運とさえ言ってよい。ペイノズはエンジン、ギアボックス、クラッチなどに大きな不安を抱えるクルマだった。郷和道監督は「保険に保険をかけて走っています」と語っていたが、今回はガンガン飛ばしたアメリカのペイノズ本家チームよりも、日本チームの走り方のほうが、正解だったようだ。またアメリカ本家チームにしても、12号車の実質エースが日本人の加藤寛規選手だったことも誇らしいことだ。余談ながら、日本ではパノスと呼ばれているが、パノスというのはフランス人が呼ぶ発音からきた呼び方のようで、チーム自身はペイノズと発音していた。

日本人の2台のポルシェは最後の最後で明暗をわけた。LM-GTクラスの911GT3Rでルマン初出場を果たした全日本GTの強豪、チームタイサンはその最たるもの。24時間のゴール間際、他のマシーンがフォーメーションを組むためスローダウンしていた時、チームタイサンの911GT3Rは81番のGT3Rとクラス2位を争ってテールトゥノーズのバトルを展開。終了2分前に相手がストップしてしまったことで見事2位を獲得したのだ。まさにドラマチックな2位入賞だった。

いっぽう、もう1台GTSクラスに参戦した池谷、羽根選手の乗る911GT2は、なんと23時間47分の時点でリアサスペンションを壊してリタイアしている。もしこの2人があと10分走り続けていれば、11人いた日本人は完走率100%となるところだった。今回は完走率99.9%というべきか。

またプロトタイプの下位クラス、LMP675クラスを走った寺田陽次郎選手はWR-LMPでクラス2位を獲得。このクラスは6台が参戦し、完走は2台という厳しい状況だったが、他のクルマがことごとく脱落している中で、寺田はルマンの豊富な経験を遺憾なく発揮、24時間後を見据えたペースで走り、見事クラス2位でフィニッシュしたのである。

■アウディ以外はどうだったのか
アウディばかりが目立った今回のレースではあったが、対抗馬と目されたペイノズの力不足は明らか。特に大きな問題はマシーンの信頼性の欠如。昨年予選でトヨタをおびやかしたような力を発揮することはできなかった。今年初参戦のキャディラックは、初年度ということもあってマシーンにさまざまな問題を抱え、完走した3台は20、22、23位というさんざんな結果だった。もっともフランスのDAMSチームから出場したキャディラック3号車は日曜日の昼にサスペンショントラブルが起こるまでは快調で、アウディに追いつくほどではなかったにしても、なかなかの速さを示していたのは明るい話題だ。

アウディに次ぐ上位に食い込んだのは、クラージュC52。アンリ・ペスカローロのチームが走らせたマシーンである。4回のルマン優勝経験をもつペスカローロは、昨年まで33回という最多出場記録を更新していたが、ついに今年はステアリングを握らず、クルマを走らせることに専念することとなった。このマシンはクラージュのシャシーに、プジョーも開発に協力したプジョー607ベースのV6・3.2リッターのターボエンジンを積んでいる。予選でも決勝でも、決して速いクルマではなく、決勝中はほかのクルマがベストラップ3分40秒台前半を出しているのに、49秒879しか出ていない。しかし、プライベーターのプロトタイプが、速いばかりで、結局最後までもたずに次々と消える中、ペスカローロのマシンは大きなトラブルに遭うことなく、淡々と周回を重ねた。そして次第に順位を上げ、終わってみたらノン・アウディの最上位にいたというわけだ。

■奥深いルマンの魅力
今年のレースでアウディがやりとげた、考えられうる最高の仕事も、たしかに有無を言わさず、感嘆させられるものだった。けれども今回、寺田陽次郎と、アンリ・ペスカローロが、長いルマン経験を活かして確実な成功を導いたことは見逃せない。ノーマークに近いペスカローロのチーム、予選通過もあやういところから始まった寺田のクルマがこんな結果をおさめるとは、正直、驚かされた。やはりルマンは耐久レース、最後まで走ることに尽きるのだ。ゴール後、観客の祝福を一番受けていたのは、アンリ・ペスカローロだった。単に地元フランスの英雄というだけでなく、観衆もルマンがどういうものか、よく理解しているのだろう。人々を惹きつけるルマンの魅力は、そもそもはこういうところにあったのだと、今回、あらためて感じさせられた次第である。

リポート=武田 隆
写真=須藤章一

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