「CARTもてぎ」レースリビュー

2002.04.28 自動車ニュース

「CARTもてぎ」レースリビュー

ゴールデンウィーク初日、2002年4月27日に開催されたCART第3戦「ブリヂストン・ポテンザ500」では、ブルーノ・ジュンケイラが自身通算2勝目を飾り、トヨタエンジンは母国での初勝利にわいた。7人のドライバーが、12回もリードチェンジしたこのレースを振り返える。


自身2勝目をもてぎで飾ったジュンケイラ。

■速かったホンダ勢、安定していたジュンケイラ

初日、予選とただ1人25秒台のトップタイムをマークした、ブルーノ・ジュンケイラ。しかしスタートからレース前半をリードしたのは、ホンダユーザーの2人、トニー・カナーンとポール・トレーシーだった。
ホンダの速さは、レース中のベストラップをみると分かる。全ドライバー中最速のカナーン(26.425秒/平均時速339.387km/h)以下、2位トレーシー(26.508秒)、3位マイケル・アンドレッティ(26.567秒)、4位ダリオ・フランキッティ(26.574秒)と、上位4人はすべてホンダ勢。朝香充弘ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント副社長が、“燃えるもてぎスペシャルエンジン”と称した2.65リッター「HR2」ターボは、たしかにパワフルだったのだ。

白熱した争いを繰り広げていたカナーンとトレーシーだったが、トレーシーは84周目、右フロントホイールが壊れリタイア。そしてカナーンにいたっては、よりによってエンジンから薄煙をはき、121周でマシンを降りなければならなかった。またアンドレッティも、リアウィングのマウント破損で118周目に戦列を去った。

ライバルが続々自滅する中、トヨタユーザーのジュンケイラが首位にたった。ホンダ勢に欠け、ジュンケイラにあったものは信頼性と安定感。前のマシンがいくら飛ばそうとも、焦らず、常に3位あたりを走行し、虎視眈々と勝利を狙っていたジュンケイラは、2位以下に12秒もの差をつけ、201周、500kmのレースで勝った。

「トヨタの母国である日本で優勝できたことは嬉しいことだよ!」とジュンケイラ。「エンジンはこの3日間よかったし、今日は安定もしていた。今シーズン過去2戦をリタイアしていただけに、とてもハッピーさ!」と喜びをあらわした。ジュンケイラにとっては、デビューイヤーの2001年エルクハートレイクでの初優勝以来の勝利。オーヴァルではもちろん初めてのVである。


フランキッティ(左)は、奥さんで女優のアシュレイ・ジャッド(右)とともに来日した。

■悪かったピットインのタイミング

今シーズンから、ピットインの回数がルールで決められた。1周1.549マイル(2.413km)のもてぎの場合、38周以上の連続走行は禁止。つまり最低でも5回はピットインしなければならない。

フランキッティのピットインのタイミングが悪かったのは、ホンダ敗因のひとつ。
38周を終えたところで、ジミー・ヴァッサーのマシンが炎をあげストップ、イエロー(徐行走行)となった。45周目、フランキッティはこのイエローを利用してピットに入る。しかし、すぐにグリーンフラッグが振られてしまい、フランキッティは7位から11位へポジションダウン、リーダーのトレーシー、カナーンに周回遅れにされてしまった。
また、ピットのスピード制限区間の長さも、フランキッティに悪くはたらいた。昨年独ユーロスピードウェイのオーヴァルで起きた、アレックス・ザナルディの大事故の教訓を生かし、時速50マイル(80km/h)の速度制限をかけたピットレーンの長さを、もてぎでは第2ターンまで延長した。つまりピットインにかかる時間が従来よりも長くなり、タイムロスも大きくなってしまったのだ。
フランキッティは結果的に3位に入れたものの、ホンダ悲願の地元初優勝とはならなかった。

レース後の記者会見にのぞんだフランキッティの顔は、あまりすぐれていなかった。45周目のピットインのことを聞かれ、あと1周でグリーンになるとは知らず、ギャンブルに出たつもりだった、とコメント。「自分にとって、そしてホンダにとって、とても重要なレースだっただけに、本当に勝ちたかったんだ」。

残念がるフランキッティへのグッドニュースは、今回3位入賞を果たしたことで、チャンピオンシップポイントを34点とし、1位に浮上したこと。そのことを記者に指摘され、顔が一瞬ほころんだ。


ペナルティさえなかったら・・・高木は8位でレースを終えた。

■表彰台もありえた

11番手からスタートしたトヨタの高木虎之介は、着実にポジションをあげ、39周目には4位までジャンプアップした。だがピット作業中に隣りのチームのインパクトレンチに接触してしまい、ピットスルーのペナルティーを受け、16位にダウン。最終的に8位でフィニッシュした。
レース終盤、周回遅れとはいえ、トップのジュンケイラの前を走ったほど、今回の高木は調子よかった。「あれさえなければ、表彰台もありえた」と語る表情からは、悔しさとともに、速さを見せたことへの満足感も感じとれた。


「悪い状況だけど、100%のレースをしたい」と語っていた中野は、苦しみながら10位完走を果たした。

■問題山積の中で

もう一方の日本人ドライバー、中野信治は、チームメイトのエイドリアン・フェルナンデスとともに、マシンのセッティングに終始苦しんだ。
20台中18位と下位に沈んだ予選。レースでも、フェルナンデスとビリ争いをしなければならなかった。さらに追い討ちをかけるようなアクシデント発生。155周目、イエローから再スタートが切られた直後の第1ターン、9位中野のマシンの左リアタイヤが外れ、3輪状態でピットまで戻らなければならなかった。タイヤに異変を感じ、イエロー中に空気圧チェックを頼んだ、とは中野の弁。チームは問題ないとして戻したが脱輪。大きな事故にはいたらなかったが、一歩間違えれば、大変なことになっていただろう。
何とかレースを完走し、10位入賞を果たしたのは、不幸中の幸いだった。




■今年で最後?

1998年、本田技研工業の創業50周年記念事業として、オーヴァルとロードコースを組み合わせた「ツインリンクもてぎ」が、栃木県茂木町に完成した。1994年からCARTに参戦していたホンダは、この国内初のオーヴァルにCART公式戦を誘致。1998年の初開催以来、“CARTもてぎ”は毎年行われ、今回で5回目を迎えた。
第1回大会の決勝日につめかけた観客数は、5万5000人。今年は昨年同様、7万2000人がレースを観にきた。メディアに登場する機会は徐々に増えつつあり、CART、そしてオーヴァルのレースは、日本の地に根付き始めているといえる。
その“CARTもてぎ”が、今年限りでなくなるのではという噂がある。その最大の理由が、もてぎのオーナーであるホンダが、今シーズンでシリーズから撤退するから。自らのエンジンが出なければ意味がないというわけだ。
しかし、ホンダがF1から撤退した1993年以降も、ホンダのお膝元である鈴鹿サーキットでGPは開催され続けてきた。上記の理由は説得力に欠く。

これはあくまで推測だが、この噂の背景には、運営、興行面での行き詰まりがあるからではないだろうか。
今回CARTレース決勝に集まった観客は、昨年同様7万2000人で、伸び悩でいる。
また事実上年1回しか使われないオーヴァルコースの価値に疑問符がついてもおかしくない。当然、維持、運営にはそれなりの費用がかかるからだ。

F1をはじめとするヨーロッパ的レースがメジャーな日本にあって、オーヴァルというアメリカ生まれの独特のレースは、新鮮に受けとめられた。時速350kmの迫力あるバトル、フレンドリーでオープンな雰囲気などに魅力を感じ、毎年もてぎを訪れるCARTファンも多い。

この国で、CART、そしてアメリカンモータースポーツを「文化」の域まで引き上げるためには、長期的ヴィジョンが必要である。ここまで根付かせた最大の功労者、ホンダに課せられた責は大きい。

日本のファンの望みは2つある。ひとつは、CARTレースの開催継続、そしてもうひとつは、ホンダの撤退撤回である。

(webCG 有吉)

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