1995年のルマンを戦ったNISMO GT-R LMが復活

2015.06.01 自動車ニュース
1995年のルマン24時間耐久レースを戦った「NISMO GT-R LM」の22号車。
1995年のルマン24時間耐久レースを戦った「NISMO GT-R LM」の22号車。

1995年のルマンを戦った「NISMO GT-R LM」が復活

歴史的な日産車のレストアを手がける日産名車再生クラブは2015年5月30日、1995年のルマン24時間耐久レースに出場した「NISMO GT-R LM」の22号車をレストアすると発表。作業の開始を前に、神奈川・厚木の日産テクニカルセンターにおいてキックオフ式を開催した。

日産名車再生クラブの木賀新一代表。
日産名車再生クラブの木賀新一代表。

■貴重な往年の日産車を走行可能な状態に再生

日産名車再生クラブとは、日産テクニカルセンターの開発部門従業員を中心にして構成された有志の団体であり、2006年に「名車再生サークル」として発足した。「日産自動車の財産である、歴史的な車両を当時の状態で動態保存する」ことを目的とし、これまでにラリーカーの「日産240RS」や「ダットサン・フェアレディZ240」「たま電気自動車」「ダットサン・ベビイ」など、10台の車両のレストアを行っている。

1年間に手がける車両の台数は基本的に1台。全体運営は十数名のコアメンバーが行い、毎年プロジェクトの参加者を募集。今年は全部で100人のメンバーが、NISMO GT-R LMのレストアに参加することとなった。

「NISMO GT-R LM」のフロントまわり。バンパーにはチッピングによる無数の傷が見られる。
「NISMO GT-R LM」のフロントまわり。バンパーにはチッピングによる無数の傷が見られる。
「NISMO GT-R LM」のリアビュー。
「NISMO GT-R LM」のリアビュー。
R33、R34世代の「日産スカイライン」の商品主管を務めた渡邊衝三氏。
R33、R34世代の「日産スカイライン」の商品主管を務めた渡邊衝三氏。
NISMO GT-R LM 22号車の担当エンジニアである山洞博司氏。「ルマンじゃありませんが、24時間電話に出られるようにしておきますので、分からないことがあったらいつでも連絡してください」
NISMO GT-R LM 22号車の担当エンジニアである山洞博司氏。「ルマンじゃありませんが、24時間電話に出られるようにしておきますので、分からないことがあったらいつでも連絡してください」
「NISMO GT-R LM」を囲み、今年のプロジェクトメンバーが記念撮影。完成したNISMO GT-R LMのお披露目は、2015年11月もしくは12月に開催されるNISMO FESTIVALを予定している。
「NISMO GT-R LM」を囲み、今年のプロジェクトメンバーが記念撮影。完成したNISMO GT-R LMのお披露目は、2015年11月もしくは12月に開催されるNISMO FESTIVALを予定している。

■キックオフ式では当時を知る技術者も登場

今回レストアされるNISMO GT-R LMは、1995年のルマン24時間耐久レースに参戦したレーシングカーである。同年、日産はR33世代の「スカイラインGT-R」をベースに仕様の異なる2台の競技車両を製作し、ルマンに投入。今回レストアされる22号車は、N1仕様に近い450psのエンジンとHパターンの5段MTを搭載したもので、レースでは福山英朗/粕谷俊二/近藤真彦組のドライブにより、総合10位、クラス5位という成績を残している。

2015年のレストア車がNISMO GT-R LMに決定したのは、同年、日産が16年ぶりにワークス体制でルマンの最高峰カテゴリーに参戦するため。ルマンに縁がある車両ということで、同車に白羽の矢が立った。

日産名車再生クラブでは、当初はホモロゲーション取得のために製造されたロードカーの方をレストアしようと考えていたという。しかしニスモに確認したところ、まだ22号車が手つかずであったことが分かり、同車のレストアを行うこととなった。

NISMO GT-R LM 22号車の状態について、日産名車再生クラブの木賀新一代表は「見た感じ、外見は相当奇麗なのでやるところが限られるかもしれない。エンジンは24時間走ってきたままなので、中がどうなっているか楽しみ」とコメント。「比較的新しいクルマで、資料もすべてそろっていると思う。完璧に再生させて、NISMO FESTIVALでお披露目したいと考えている」と述べた。

またキックオフ式にはR33、R34世代のスカイラインの商品主管を務めた渡邊衝三氏や、NISMO GT-R LM 22号車の担当エンジニアである山洞博司氏も出席。「水野監督(当時ルマン参戦チームを率いていた水野和敏氏)が実践した、タイヤをもたせて交換の回数を減らし、ピットインタイムを短くするという作戦は当時画期的だった」「レースの終盤、ピットに戻ってきた福山選手が脱水症状でけいれんを起こしていて、非常に過酷なんだろうなと分かった。よくピットまで帰ってきてくれたと思った」(渡邊氏)、「22号車を作り上げるときに、『この部品が取れちゃったらどうなるんだろう?』『この部品はこの形でいいのかな?』とみんなで意見を出し合って、部品に工夫を加えたり、ボルト1本ずつの締め方を考えたりしながらクルマを作っていった。非常に信頼性の高いクルマに仕立てた」(山洞氏)と、当時のエピソードを披露した。

(webCG)

→「NISMO GT-R LM」の22号車のより詳しい写真はこちら
 

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