第408回:祝!「KFC」 イタリアに(ほぼ)初上陸!?

2015.07.24 エッセイ

「市民権」に時間を要したマクドナルド

ここのところ、日本ではファストフードのチェーンに関するニュースが少なくない。
約20年前、ボクがイタリアに学生として住み始めたとき、驚いたことのひとつに、ファストフードの店が極めて少ない、ということがあった。
ボクが住むシエナの旧市街もしかりで、辛うじて「バーギー」という名の国内系ハンバーガーチェーンがあった。だが、クラスメートの「激マズ」という評価を聞き及び、ボクは行ってみるのをやめた。その後バーギーは1996年、「マクドナルドイタリア」に吸収された。それにともない、シエナ店もしばらくしてマクドナルドに改装された。

なお、マクドナルドのイタリア進出は1986年。日本よりも15年遅かったことになる。1号店は北部ボルツァーノだったという。

イタリア人にとって、ファストフードと「アンブルゲル(Hamburgerのイタリア語読み)」は、安直なアメリカ食文化の代名詞として、長きにわたり軽視を通り越して蔑視の対象であった。それはボクが住み始めた1990年代でも同じだった。マクドナルドが1号店にボルツァーノを選んだのも、オーストリア国境に近く、抵抗が少なそうだったからに違いない。

しかし2000年代後半に入ると、マクドナルドもようやくイタリア人の間で市民権を得てきた。背景には、世代の変化と、経済後退にともなう食費支出の減少があるのは確かだ。
マクドナルドイタリアの資料によると、2015年の国内店舗数目標は555店である。日本の約3000店からすると極めて少ないが、数年前には300店台だったことを考えると、順調な出店ペースといえる。
また、高速道路のサービスエリアからスタートしたイタリア最大の外食チェーン「アウトグリル」が米「バーガーキング」と提携し、店舗数を拡張していることも、ハンバーガー普及を少なからず後押ししている。

1922年に完成し、1982年までフィアットの自動車工場として使われていたトリノのリンゴットビル。現在は複合施設となっている。
1922年に完成し、1982年までフィアットの自動車工場として使われていたトリノのリンゴットビル。現在は複合施設となっている。
工場閉鎖後リニューアルを担当したのは著名なイタリア人建築家レンツォ・ピアノ。ショッピングモールがある2階までは、ケーブルカー状のエレベーターがある。
工場閉鎖後リニューアルを担当したのは著名なイタリア人建築家レンツォ・ピアノ。ショッピングモールがある2階までは、ケーブルカー状のエレベーターがある。
フィアットのリンゴット工場を改装して作られたショッピングモール「8(オット)ギャラリー」。これは地元のサッカーチーム「ユベントス」のオフィシャルショップ。
フィアットのリンゴット工場を改装して作られたショッピングモール「8(オット)ギャラリー」。これは地元のサッカーチーム「ユベントス」のオフィシャルショップ。

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大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住20年という脈絡なき人生を歩んできたものの、それだけにあちこちに顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーター。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストをはじめラジオでも活躍中。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)など数々の著書・訳書あり。