第31回:「制限速度120km/h へ引き上げ」の背景にあるもの(最終回)
絶対の自信あり

2016.08.11 エッセイ

「スピードは悪」の時代

「ややもすると取り締まりのための取り締まりになっている傾向があり……」

古屋圭司国家公安委員長(当時)が交通取り締まりのあり方について批判的とも受け取れる発言をしたのは2013年の6月。その後の経緯は省略するとして、あれが、結果として高速道路の制限速度の引き上げにつながった、と一般的には考えられているようで、それは確かに間違いではないと私も思うけれど、いや、話の根っこは、もっと深いところにある。

その昔、その昔とは例によって交通事故が多発していた時代のこと。正確に「いつから」とは言えないけれど、少なくとも私がもっぱら交通問題を書き続けていた時代(=『NAVI』誌が創刊された頃だから1980年代の初頭)のあたりである。

「交通事故が多発しているのは警察の責任だ」
「交通警察は何をやっているんだ!!」

世の中の誰もそんなことを言っていないのに、警察は「交通安全対策は警察に課せられた責務」みたいに肩に力が入りまくってた時代があった。

交通事故による死者数がピーク(1万6765人)に達した「交通戦争」の時代を交通安全施設の充実などで乗り越え、しかし、その施策が限界にくると、せっかく半減した交通事故死者数は、すぐにまた増加傾向に転じ「第2次交通戦争」の時代へと進んでいった。
政府の「非常事態宣言」がでるほど交通事故が多発し、総合的な交通安全対策の必要性が叫ばれたけれど、しかし、それが実行されないものだから、結果、警察が打ちだす対策だけ、要は、取り締まりと規制の強化が実施されていくことになる。

俺(=警察)が何とかしてみせる。

警察庁にしてみれば、そんな意気込みだったに違いない。

最近の交通違反取り締まり件数は700万件ほど(2014年)だが、『NAVI』が創刊された年(1984年)のそれは、近ごろの倍ほどにもなる1380万件。
シートベルトだけで自動車乗車中の死者数を減らすことなんて絶対にできないとわかっていながら(「自転車――改正道交法が語る“意味”」第15回第16回参照)、それでも着用義務化したのも同時代のことだ。
飲酒運転、無免許運転と並んで速度超過が「交通三悪」と言われた時代である。「スピードは悪」の時代だった。
交通事故による死者数は1万1000人を突破していた。

あの頃の東北自動車道(制限速度が120km/hに引き上げられる予定の区間のこと)はどういう状況だったかといえば、今よりもずっと交通量は少なくて、もちろん当時から同区間の設計速度は120km/hだったのだから道路の安全性は今よりも高かった。けれど、時代が時代なだけに100km/h規制の(上方への)見直しなんてあるはずはなく、仮に、あの時代の国家公安委員長が「制限速度を見直そうと思う」と言ったとしても、絶対に絶対に絶対にそんなことは実現するわけない時代だった。

今は違う。状況は激変した。

交通事故多発という問題に限らず、自動車交通社会が多くの問題を抱えていた時代に登場した『NAVI』誌。矢貫 隆はそこでもっぱら交通問題を書き続け、中央道の速度規制(第30回参照)は、同誌の創刊から数年後に始めた連載だった。
交通事故多発という問題に限らず、自動車交通社会が多くの問題を抱えていた時代に登場した『NAVI』誌。矢貫 隆はそこでもっぱら交通問題を書き続け、中央道の速度規制(第30回参照)は、同誌の創刊から数年後に始めた連載だった。

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矢貫 隆

矢貫 隆

1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。現在『CAR GRAPHIC』誌で「矢貫 隆のニッポンジドウシャ奇譚」を連載中。『自殺―生き残りの証言』(文春文庫)、『刑場に消ゆ』(文藝春秋)、『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。