第467回:ダラーラのロードカーがいよいよ公道へ
世界600台限定の「ストラダーレ」に試乗する

2018.01.11 エディターから一言
あのダラーラが手がけたロードカー「ストラダーレ」がいよいよその姿を現した。
あのダラーラが手がけたロードカー「ストラダーレ」がいよいよその姿を現した。

イタリアの名門レーシングカーコンストラクター、ダラーラのロードカーがいよいよ公道に躍り出る。わずか2.14kg/psという卓越したパワーウェイトレシオが物語るその走りとは? モータージャーナリストの西川 淳はダラーラの本社があるパルマ郊外のヴァラーノ・デ・メレガーリに向かった。

ダラーラのレーシングカーは世界のサーキットを席巻している。「ストラダーレ」にはその技術が注がれている。
ダラーラのレーシングカーは世界のサーキットを席巻している。「ストラダーレ」にはその技術が注がれている。
ボディーサイズは全長4185×全幅1875×全高1041mmで、ホイールベースは2475mm。
ボディーサイズは全長4185×全幅1875×全高1041mmで、ホイールベースは2475mm。
車両の駆動レイアウトは言うまでもなくMR。キャビンの背後には400psを生み出す2.3リッター直4ツインターボエンジンが搭載されている。
車両の駆動レイアウトは言うまでもなくMR。キャビンの背後には400psを生み出す2.3リッター直4ツインターボエンジンが搭載されている。
ジャンパオロ・ダラーラ氏は1936年11月16日にヴァラーノ・デ・メレガーリで生まれた。ミラノ工科大学で航空工学を学んだのち、風洞実験ができる人材ということで、まずはフェラーリへ入社した。その後、レーシングカーに関わりたい一心でマセラティ、ランボルギーニ、デ・トマソと渡り歩き、「ミウラ」や「パンテーラ」といったロードカーの企画にも関わっていく。1972年、自らの名を冠したコンストラクターを故郷に設立した。
ジャンパオロ・ダラーラ氏は1936年11月16日にヴァラーノ・デ・メレガーリで生まれた。ミラノ工科大学で航空工学を学んだのち、風洞実験ができる人材ということで、まずはフェラーリへ入社した。その後、レーシングカーに関わりたい一心でマセラティ、ランボルギーニ、デ・トマソと渡り歩き、「ミウラ」や「パンテーラ」といったロードカーの企画にも関わっていく。1972年、自らの名を冠したコンストラクターを故郷に設立した。

ダラーラとはいかなる存在か?

ダラーラ社が、今や世界最高のレーシングカーコンストラクターであることは論をまたない。インディカーや日本のスーパーフォーミュラの全量を供給するほか、F1やF3、LMP2など、世界中のレーシングカーを生産している。秘密のプロジェクトを含めれば、想像を絶する数のダラーラ製レーシングカーが世界のサーキットを席巻していると言っていい。

レーシングカーだけじゃない。ダラーラ社が公式に認めている関与したプロジェクトだけでも、「ヴェイロン」&「シロン」のブガッティや、「アルファ・ロメオ8C」「KTMクロスボウ」などを挙げることができる。創始者ジャンパオロ・ダラーラが独立する前に関わった市販車まで加えれば、「ランボルギーニ・ミウラ」や「デ・トマソ・パンテーラ」「BMW M1」など綺羅(きら)星のごときスーパーカー名が立ち並ぶのだった。

ジャンパオロ・ダラーラの天才性は、個人の能力にとどまらず、組織づくりと人材育成にも発揮された。そこが、他の天才エンジニアたちとは違う点だ。いち早くエアロダイナミクスやカーボンファイバーに目をつけ自社にテクノロジーを蓄えるという先見性もあったし、フィアット&フェラーリとの密接な関係を活用しつつ徐々に企業規模を拡大するというビジネスセンスもあった(フェラーリとの関係の深さは今も続く)。後継となりうるエンジニアを育てることにも熱心で、もうすぐレースエンジニア向け専門学校も設立するという。

イタリアのモータウン、エミリア・ロマーニャ州が生んだエンジニアリングヒーロー、ジャンパオロ・ダラーラ。1936年生まれの彼が自ら指揮する、おそらくは最後となるビッグプロジェクトが、積年の夢でもあった自身の名を冠するロードゴーイング・スポーツカーの市販化、なのだった。

あなたにおすすめの記事
新着記事