小林彰太郎初の全文書き下ろし自叙伝発売!

2011.07.08 From Our Staff
『小林彰太郎の日本自動車社会史』(Cars in my life)
小林彰太郎初の全文書き下ろし自叙伝発売!

小林彰太郎初の全文書き下ろし自叙伝発売!

自動車雑誌『CAR GRAPHIC』の生みの親、小林彰太郎初の全文書き下ろし自叙伝が出版されました。この本は、いくつになってもクルマに対して少年のような情熱を抱き続けている一人のエンスージアストの物語です。



『小林彰太郎の日本自動車社会史』(Cars in my life)

小林彰太郎/著
定価:2100円(税込み)
判型:A5判 260ページ

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幼少の頃、買ってもらった木製の四輪車。広い芝生の庭でよく遊んだ。これがいわば“My first car”だった。(本書より)
自動車雑誌「カーグラフィック」の生みの親、小林彰太郎初の全文書き下ろし自叙伝発売!

■「Cars in my life」

この「Cars in my life」という英文タイトルが、この本の内容を一言で表現しています。小林彰太郎(現『CAR GRAPHIC』名誉編集長)の人生は、まさにクルマとともにありました。小林は、幼い頃にクルマに魂を奪われて以来、どんどんクルマに魅せられていきました。そして大学在学中の1950年代当時、日本人のほとんどがそんな言葉が存在することすら知らなかった、「自動車ジャーナリスト」を生涯の職業と決めます。

日本で最初に自動車評論の道を開拓し、ロードインプレッションやロードテストの概念を持ち込んだ小林彰太郎。昭和初期の自動車風景に始まり、自身のクルマに対する見方、考え方、自動車ジャーナリズムとは何かなどなど、日本のクルマ社会と自身の自動車人生を自叙伝的につづった貴重な一冊です。ぜひご一読ください。

(ラムダ・インク 河村昭)

1931年「フォードA型クーペ」。埼玉県入間郡名栗村(当時)の村長が、2匹の芝犬を後部ランブルシートに乗せ、長年狩猟に使っていたのを4万円で買い受けた。これは完全に修復した姿。真冬で過冷却を防ぐためラジエター・マフを幌職人に特注した。4気筒3.2リッターは低速トルクが強くてよく走る。純粋な雑種“pure mixed”の愛犬と。
1931年「フォードA型クーペ」。埼玉県入間郡名栗村(当時)の村長が、2匹の芝犬を後部ランブルシートに乗せ、長年狩猟に使っていたのを4万円で買い受けた。これは完全に修復した姿。真冬で過冷却を防ぐためラジエター・マフを幌職人に特注した。4気筒3.2リッターは低速トルクが強くてよく走る。純粋な雑種“pure mixed”の愛犬と。
この1926年「ブガッティT23 ブレシア」は、シャシーだけが大阪のさる修理屋に20年近く放置されていたのを、著者が救出。エンジン、シャシーをすべてバラして自力で修復するのに2年を要した。ボディは著者自身のデザインにより、マダム・ラタンという籐椅子屋で製作した。
写真は2002年6月2〜8日にイタリアのトスカーナ地方で行われたブガッティ国際イベントに遠征したときのもの。(本書より)
この1926年「ブガッティT23 ブレシア」は、シャシーだけが大阪のさる修理屋に20年近く放置されていたのを、著者が救出。エンジン、シャシーをすべてバラして自力で修復するのに2年を要した。ボディは著者自身のデザインにより、マダム・ラタンという籐椅子屋で製作した。写真は2002年6月2〜8日にイタリアのトスカーナ地方で行われたブガッティ国際イベントに遠征したときのもの。(本書より)

◆◆◆

これまで60年近くを、脇目もふらずに働いてきました。いまあらためて身辺を見回すと、自慢ではありませんが、私には一般的な意味の資産はなにもありません。その代わり、私の書いたものを読んでくださる熱心な読者と、多くのクルマと、それをめぐって長年の間にはぐくまれた、世界中に広がる友人の大きな輪が、なにものにも代え難い財産として残っています。

大学の同窓会などで、たまに昔の友人に会うと、まだお前はそんなことやっているのかと、あきれられることもしばしばです。私くらいの年になれば、月に何度かゴルフをし、孫の相手や、庭いじりに精出すくらいが平均的なレジャーなのですから、そう言われるのが当然でしょう。しかし、海外では、個人がもっとのびのびと、自分の好きな趣味をとことんエンジョイしており、誰もそれについてとやかく言いません。クルマの趣味も、そのひとつにすぎないのです。

まったくのズブの素人でも、時間さえかければ、コツコツと自力でオールドカーを修復することは、想像されるほど難しくはないのです。それがむしろ当たり前で、手に油して自分でクルマを直すこと自体が、重要な楽しみの一部なのです。このような、欧米に多い、人間と古いクルマの付き合い方というものに、私は強い共感を覚えます。そんな私の半生を振り返って、まとめました。ご一読いただければ幸いです。

(小林彰太郎)

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1949年「MG TC」。友人西端日出男君と共有して1週間交代で乗った。写真は結婚する直前で、新婚旅行もこれで蒲郡まで往復した。東名高速が開通する前で半分以上は砂利道のため、よくマフラーを落とした。まさに青春の真最中で、こんなに楽しい車はないと思った。
1949年「MG TC」。友人西端日出男君と共有して1週間交代で乗った。写真は結婚する直前で、新婚旅行もこれで蒲郡まで往復した。東名高速が開通する前で半分以上は砂利道のため、よくマフラーを落とした。まさに青春の真最中で、こんなに楽しい車はないと思った。
自動車ジャーナリストと一口にいうがその実態はさまざまだ。あまり運転はしない代わり、古今のクルマについて生き字引的知識の持ち主がいる。その対極には、運転すること自体の楽しみのために運転する純粋な“走り屋”が存在する。僕自身に関していえば、16歳で小型四輪免許を取得してから80歳を超えた現在まで、あらゆる種類のクルマを存分に楽しんで来た。徳の後半の50年ほどは、国内、国外のヒストリックカーレースにもたびたび出場した。この経験を原稿に書くのが仕事なのだから、思えば実にハッピーな人生だったと思う。(本書より)
自動車ジャーナリストと一口にいうがその実態はさまざまだ。あまり運転はしない代わり、古今のクルマについて生き字引的知識の持ち主がいる。その対極には、運転すること自体の楽しみのために運転する純粋な“走り屋”が存在する。僕自身に関していえば、16歳で小型四輪免許を取得してから80歳を超えた現在まで、あらゆる種類のクルマを存分に楽しんで来た。徳の後半の50年ほどは、国内、国外のヒストリックカーレースにもたびたび出場した。この経験を原稿に書くのが仕事なのだから、思えば実にハッピーな人生だったと思う。(本書より)

◆久米宏氏、絶賛!

小林彰太郎氏は誠にノーブルな人だ。
その少年時代がなんとも楽しい。氏は物心ついた時から、熱心な「カーウォッチャー」だった。以来今日まで、実に冷静な「ウォッチ」を続けている。
12年前の夏、軽井沢で小林氏が運転するオースチンセブンの助手席に座った珠玉の記憶が僕にはある。濃い緑の中を駆け抜けるオースチンセブン。ハンドルを握る彰太郎氏は少年そのものだった。
それから数年後、さる劇場でお目にかかった。ニコッとして、「小さなランチアを買いました。ディーゼルなんですよ」またしても彰太郎少年だった。

(写真提供:株式会社カーグラフィック、小林彰太郎フォトアーカイヴ)

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