第4回:走ること、歩くこと(その1)〜歩いて知ったクルマの価値

2010.08.02 エッセイ

第4回:走ること、歩くこと(その1)〜歩いて知ったクルマの価値

2009年春に四国に旅立って、一番札所から歩き始めた筆者が真っ先に思い知らされたのは、歩くことの厳しさだった。

クルマというのは、本当に自由で快適、そして速い移動手段だとあらためて感じる。しかもそれが作る現代の風景もまたいい。ここ高知の桂浜近くの風景は、モナコGPのヘアピンのようだ。
第4回:走ること、歩くこと(その1)〜歩いて知ったクルマの価値
クルマなら、たった1時間半でここまで行ける。でも私たちは3日かけないと到達できない。
第4回:走ること、歩くこと(その1)〜歩いて知ったクルマの価値

クルマの30分は歩きの1日

「レストラン、入浴施設あり。ここから1時間半」。徳島県から高知県に入る日の朝、この看板を見て「おっ、ここで昼飯だ」と決めた。だが、一瞬後、それは大きな落胆になる。小さな文字で「マイカーで」と併記されていた。しかも下に書かれていた地名は、私たちが3日後に到着することになっていた場所だった。

「何か昼飯食べられるところねぇ?」、高知から愛媛近くに向かう朝、小さな食料品屋さんで訪ねた私たちに、人の良さそうなオジサンはちょっとだけ考え、指先で地図の一点を指した。「ここまで行けばあるかな。ほんの30分ぐらいだよ」。指先はすーと動いて、小さな町で止まった。なんとそこは、私たちのこの日の夕方の到着予定地だった。たしかに軽自動車で動くオジサンにとっては、ほんの30分だった。でも私たちにとっては、それはまるまる1日のかなたの地点だったのだ。

歩くということは、とてつもなく遅い行為だ。クルマによる移動に慣れている、というかそれを前提にしている人にとっては、絶望と思えるほど時間がかかる行為である。クルマのたった30分は、歩く人間の1日の距離にあたるのだ。40年以上にわたってクルマ人間だった私は、まずこの事実を思い知らされたのである。

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大川 悠

大川 悠

1944年生まれ。自動車専門誌『CAR GRAPHIC』編集部に在籍後、自動車専門誌『NAVI』を編集長として創刊。『webCG』の立ち上げにも関わった。現在は隠居生活の傍ら、クルマや建築、都市、デザインなどの雑文書きを楽しんでいる。