「ジャパン・クラシック・オートモービル」開催

2010.04.05 自動車ニュース
桜並木が美しい、日本銀行本店前のその名も江戸桜通りに並べられたエントリー車両。手前から三井高公氏が所有していた1935年「ブガッティT35C」、東京・湯島の自動車整備工場「アート商会」勤務時代の本田宗一郎氏が製作したレーシングマシンの1924年「カーチス号」などなど。
歴史ある街に歴史あるクルマが集合〜「ジャパン・クラシック・オートモービル」開催

歴史ある街に歴史あるクルマが集合〜「ジャパン・クラシック・オートモービル」開催

2010年4月4日、東京・日本橋で往年の名車を集めた「ジャパン・クラシック・オートモービル」が開かれた。

1935年「イスパノ・スイザK6」。佐賀藩主だった鍋島家の13代当主 鍋島直泰氏が裸シャシーで輸入し、自らデザインしたボディを屋敷内のガレージで架装させたというスペシャルで、現在はトヨタ博物館が所蔵する。桜にぴったりのボディカラーは「灰桜色」というそうだ。
1935年「イスパノ・スイザK6」。佐賀藩主だった鍋島家の13代当主 鍋島直泰氏が裸シャシーで輸入し、自らデザインしたボディを屋敷内のガレージで架装させたというスペシャルで、現在はトヨタ博物館が所蔵する。桜にぴったりのボディカラーは「灰桜色」というそうだ。
桜、名車とくれば、欠かせないのは美女? ということで、桜模様の和服姿のお嬢さんと1937年「ブガッティT57ヴァントー」のツーショット。品川や練馬といった陸運所在地の表記がなかった時代の東京ナンバーを付けた、古くから日本にある有名な個体である。
桜、名車とくれば、欠かせないのは美女? ということで、桜模様の和服姿のお嬢さんと1937年「ブガッティT57ヴァントー」のツーショット。品川や練馬といった陸運所在地の表記がなかった時代の東京ナンバーを付けた、古くから日本にある有名な個体である。

■クラシックカーイベントにふさわしい場所で

日本橋の架橋は1604年。重要文化財に指定されている、20代目となる現在の橋は1911年に建立され、2010年4月3日に架橋99周年を迎えた。この白寿祝いとして4月4日に「第19回 春の名橋『日本橋』まつり」が開かれ、その一環として約20台の希少なクラシックカーが集う「ジャパン・クラシック・オートモービル」が実施された。

日本橋といえば、多くの老舗が軒を並べる歴史ある街であると同時に、古くは全国に通じる五街道の起点であり、現在も「日本国道路原標」が置かれている、いわば日本の道路交通の原点でもある。日本橋でクルマのイベントと言われてもピンとこないかもしれないが、いまや貴重な文化遺産であるクラシックカーイベントの開催地としては、歴史的、文化的な見地からして、じつはふさわしいロケーションなのだった。

イベントのプログラムは、1896年竣工という歴史的建造物である日本銀行本店前の江戸桜通りにエントリー車両を並べ展示した後、同じく江戸桜通り三井本館前に移動して再び展示。それから中央通りを数百mパレード走行して、今度は日本橋上に車両を整列させ展示するというもの。この間に審査員によるコンクールデレガンス、およびギャラリーによる人気投票も行われた。

のどかな排気音を響かせてトコトコ走る1938年「ダットサン17型フェートン」。欧米の大型高級車が大半を占めた参加車両中、唯一の日本車、それも小型車である。その愛らしい姿とMade in Japanの誇りがギャラリーにアピールしたようで、人気投票で1位に輝いた。
のどかな排気音を響かせてトコトコ走る1938年「ダットサン17型フェートン」。欧米の大型高級車が大半を占めた参加車両中、唯一の日本車、それも小型車である。その愛らしい姿とMade in Japanの誇りがギャラリーにアピールしたようで、人気投票で1位に輝いた。
中央通りをさっそうと走る小林彰太郎氏の1924年「ランチア・ラムダ」。世界で初めてモノコックボディを採用するなど進歩的な設計で、自動車史上において重要なモデルだ。まるでタイムスリップしたような光景に、三越本店前で見守るライオンもびっくり?
中央通りをさっそうと走る小林彰太郎氏の1924年「ランチア・ラムダ」。世界で初めてモノコックボディを採用するなど進歩的な設計で、自動車史上において重要なモデルだ。まるでタイムスリップしたような光景に、三越本店前で見守るライオンもびっくり?
お江戸日本橋の上は、約20台のクラシックカーとそれらを囲む無数のギャラリーに占拠され、ご覧のような混とんとした状態に。白洲次郎氏が愛用していた1924年「ベントレー3リッター」の後方には、オーナーと語らう徳大寺有恒氏の顔も見える。
お江戸日本橋の上は、約20台のクラシックカーとそれらを囲む無数のギャラリーに占拠され、ご覧のような混とんとした状態に。白洲次郎氏が愛用していた1924年「ベントレー3リッター」の後方には、オーナーと語らう徳大寺有恒氏の顔も見える。

■エンスーにとっては感動もの

エントリー車両は1920年代から60年代のモデルで、前述したように台数こそ約20台と多くはなかったが、その内容がすばらしかった。クルマ自体の価値もさることながら、古くから日本に生息して歴史を刻んできた、由緒正しいクルマが大半を占めていたからだ。

例を挙げれば戦前に三井家11代当主の三井高公氏が所有していた1935年「ブガッティT35C」、白洲次郎氏が英国留学時代に愛用していた1924年「ベントレー3リッター」、昨年逝去した俳優の森繁久彌氏が所蔵していた1931年「ライレー9モナコ」など。日本におけるヒストリーの証である、5(小型乗用車)や3(普通乗用車)といった分類番号がひとけたの、いわゆる「シングルナンバー」を持つクルマも少なくなかった。

これら参加車両の多くは、日本を代表する旧車クラブである「日本クラシックカークラブ」のメンバーの所有になるもので、イベントの開催に尽力したという同クラブ会長の小林彰太郎氏も、自身の1924年「ランチア・ラムダ」でエントリーしていた。

路上ではもちろん、旧車イベントでもめったにお目にかかることはできないエントリー車両をまとめて、それも無料で拝めるだけでも、エンスーにとっては感動ものである。加えてこの日は、それらの車両が日本橋を舞台に展示されるという、前代未聞の場面まであったのだ。休日とはいえ、都内の主要幹線である中央通りの片側車線を1時間にわたってシャットアウトし、自動車を展示する。自動車工業先進国ではあるものの、自動車文化に関しては進んでいるとは言いがたい国のクルマ好きにとっては、感慨深い光景だった。

(文と写真=田沼 哲)

フィナーレを迎え、日本橋から再びパレードして散会していくエントリー車両。先頭を走る「5」ナンバー付きの1953年「ポルシェ356カブリオレ」は、今から40年以上前に現オーナーが俳優の高倉健氏から譲り受けたといういわくのあるクルマ。
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