第130回:大矢アキオ、非公式参拝を強行! クルマ史に輝く「あの人」に

2010.02.20 エッセイ

第130回:大矢アキオ、非公式参拝を強行!クルマ史に輝く「あの人」に

自動車史上最高の痛快男

ファンの皆さんに会うたび、よく「大矢サンの好きなブランドは、やはりイタリア車ですか?」「ラテン系全般、お好きですよねぇ」などと聞かれる。
だがボク自身はいたってニュートラルである。どこの国のクルマであろうと、興味あるものはある。事実、人生最初の自分のクルマは親のお下がりで「アウディ80」だったし、その後社会人になってからは給料をはたいてベンチシートの中古「ビュイック」を2台乗り継いだ。

いっぽう自動車史上に残る人物に関していえば、かなり偏っている。概して熱血エンジニア系・レース系は尊敬はするが、個人的にはやや遠い存在だ。かわりに、シトロエンの創業者アンドレ・シトロエンは、ボクが「今生きてたら、面白いおじさんだったろうな」と信じてやまない人物である。

1878年、日本でいう明治11年にオランダ人移民の子としてパリで生まれたアンドレの幼少期は、父親の自殺をはじめ苦労の連続だった。しかし大人になると歯車工場を創設。続いて第一次大戦の特需が彼の人生にとって転機となった。
フォード式流れ作業を採り入れた砲弾工場を、パリ・セーヌ河岸の(当時は郊外だった)ジャヴェル地区に建設し、大成功を収めたのだ。

戦後、工場を自動車製造に転換して名を成した彼は、パリのカジノやキャバレーにおいて、その羽振りの良さで一躍有名になる。シトロエン夫妻は毎晩のようにダンスに繰り出した。あるカジノでは、大敗のあと大逆転したことに気を良くし、カジノのディーラーたちにチップとしてシトロエン車を1台ずつプレゼントしたというのは、彼の武勇伝のひとつだ。

同時に早くから広告宣伝の重要性に気づいた彼は、社内に専門部署を設置し、エッフェル塔に“CITROEN”の文字をネオンで浮かび上がらせるなど、アッといわせる手法を次々とやってのけたのだ。今日なら当たり前の、セールスマン教育やアフターサービス網の必要性にもいち早く着目し、整備していった。

やがてアンドレは、従来のアメリカ車に範をとったラインナップとは一線を画した革新的前輪駆動車の開発にゴーサインを出した。有名な「トラクシォン・アヴァン」である。だがその計画には莫大な研究開発費がかかり、会社の金庫からは、またたく間に札束が飛んで消えていく。会社が傾いたばかりか、彼の健康状態さえも蝕まれていった。そして、彼はトラクシォン・アヴァンの大成功を見ぬまま、1935年に57歳でこの世を去る。

いやはや、なんとも劇的な人生ではないか。今、彼が生きていていたら絶対ツイッターをやっていて、人々は固唾をのんでフォローしたに違いない。

ジャヴェル工場から最後の「DS」ラインオフ。(写真=Citroen Communication)
第130回:大矢アキオ、非公式参拝を強行! クルマ史に残る「あの人」に
パリのアンドレ・シトロエン公園。気球は一般の人も乗れる。
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大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住20年という脈絡なき人生を歩んできたものの、それだけにあちこちに顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーター。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストをはじめラジオでも活躍中。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)など数々の著書・訳書あり。