徳大寺有恒さんの新著は『間違いじゃなかったクルマ選び』。
「日本車史の語り部」が、今だから話せるエピソードとは?

2009.11.10 From Our Staff
徳大寺有恒さんの新著は『間違いじゃなかったクルマ選び』。「日本車史の語り部」が、今だから話せるエピソードとは…

徳大寺有恒さんの新著は『間違いじゃなかったクルマ選び』。「日本車史の語り部」が、今だから話せるエピソードとは?

「巨匠」こと徳大寺有恒さんの最新刊の書名は、『間違いじゃなかったクルマ選び』。ん? 微妙に書名が違うような……。じつは、この本は『間違いだらけのクルマ選び』が刊行された1976年以前の日本のクルマについて、当時を振り返りつつ思い出を語ったもの。『NAVI』の「エンスー新聞」主筆の田沼哲が、執筆の舞台裏に迫る!


『間違いじゃなかったクルマ選び』
徳大寺有恒/著
定価 1470円(税込み)
四六判・192ページ

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徳大寺有恒さんの新著は『間違いじゃなかったクルマ選び』。「日本車史の語り部」が、今だから話せるエピソードとは…
『徳大寺有恒といくエンスー・ヒストリックカー・ツアー』
徳大寺有恒さんの新著は『間違いじゃなかったクルマ選び』。「日本車史の語り部」が、今だから話せるエピソードとは…
1955年に誕生した初代「トヨペット・クラウン(RS)」。徳大寺さんが日本車を評価するにあたって、原点となったモデルである。
徳大寺有恒さんの新著は『間違いじゃなかったクルマ選び』。「日本車史の語り部」が、今だから話せるエピソードとは…

■ヒストリックカーは「懐メロ」

-- そもそも、この本を書こうと思ったきっかけは?
徳大寺:『NAVI』で数年前から「エンスー・ヒストリックカー・ツアー」という連載をやってるんですが(現在は休載中)、ご存じですか?
-- もちろん。徳大寺さんが数名のスタッフとともに、エンスーな中古車店やミュージアムを巡る企画ですよね。
徳大寺:そうです。あのツアーで往年の名車・珍車を見て回るたびに、自分にとってヒストリックカーというのは、いわば「懐メロ(懐かしのメロディ)」だな、と。懐かしのヒット曲を聴くと、それが流行っていた頃のことを思い出すじゃないですか? 私にとっては、クルマもそれと同じだと。
-- なるほど。

徳大寺:なかでも日本車にとりわけそれを強く感じたんですよ。趣味の話でいえば、私は英国車を筆頭に外国車も大好きなんだけど、外国車の場合は、たとえば若い頃に憧れていたクルマを後になって手に入れたりしているので、クルマ自体と自分の思い出の時代背景が必ずしも一致しているわけではないんです。ところが日本車だと、すべてのモデルにリアルタイムで触れているんですよ。
-- つまり1955年に登場した初代「クラウンRS」以降、この本に記されているすべてのモデルが、徳大寺さんにとってなんらかの思い出に直結する懐メロのようなものだというわけですか。
徳大寺:ええ。それで、思いだせるうちに書いておこうと思ったんですよ(笑)。
-- そんな、まだまだお元気じゃないですか。

徳大寺:もちろん曲と同じで、クルマにもヒットしたものとそうでないものがあり、出来不出来もあれば好き嫌いもあります。でも、懐メロでいうなら、流行っていたころは別に思い入れがなくとも、歳をとってから聴くと無性に懐かしさを感じる曲もありますよね?
-- あります、あります。
徳大寺:クルマも似たようなもので、リアルタイムでは珍妙だと思っていたものでも、今の目で見ると、その時代の空気が色濃く反映されていて興味深かったりするんです。だからといって、クルマ自体の出来に対する評価は変わりませんが。
-- そこは大事なところですね。なんでもかんでも「昔はよかった」とばかりに美化されても困りますから。
徳大寺:ええ。とはいえ本書にも記したとおり、17歳のとき初めて運転した初代クラウンに始まり(注1)、少年期から青年期をともに過ごしたクルマたちですから、たとえ不出来なものであっても、それはそれで懐かしいし、今となっては憎めません。
-- この本の帯に「日本車の青春時代を振り返る!」と記されていますが、それは徳大寺さんの青春時代ともシンクロしていたんですね。
徳大寺:まさにそうなんです。

(注1)当時は16歳で小型車(5ナンバー)までを運転できる「小型四輪免許」が取得可能で、徳大寺さんはそれを所有していた。

1967年に市販開始された「トヨタ2000GT」。トヨタとヤマハ発動機が共同開発した日本初の本格的なグランツーリズモ。
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1965年に登場した「トヨタ・スポーツ800」。空冷フラットツインを搭載した大衆車であるパブリカをベースに作られたライトウェイトスポーツ。
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■ヨタハチは絶賛、トヨタ2000GTは……

-- この本には49車種が紹介されていますが、その中で特に思い出深いクルマというと何でしょう? たとえばベスト5を選ぶとしたら?
徳大寺:むずかしい質問ですね。「近代国産車史の始まり」と記した初代クラウンは別格として……あとはお読みになって判断してください。
-- わかりました。ちなみに私は、「トヨタ2000GT」と「トヨタ・スポーツ800」の対比がとても印象的でした。世間では日本の名車と崇められている2000GTに対しては厳しく、いっぽうヨタハチことスポーツ800に関しては絶賛に近い評価で。
徳大寺:そうですか。しかし、ヨタハチはかわいらしく、かつ知的で、本当に魅力的なライトウェイトスポーツだったんですよ。
-- そのようですね。あと興味深かったのは、徳大寺さんがトヨタのワークスドライバーだった頃のエピソード。同じレースを走る、同じ1500ccの「コロナ」と「スカイライン」で、鈴鹿のラップタイムが10秒近くも違うなんて、信じがたい話ですよ。最初は1秒の校正ミスかと思いましたよ。
徳大寺:たしかにそう思われても仕方がないですね。でも実際に私は10秒遅いほうのコロナに乗っていたんですから(笑)。
-- 「スバル360」や「ホンダN360」、「フロンテ」や「フェロー」といった軽自動車の話も楽しめました。徳大寺さんと軽の取り合わせは、イメージ的にはピンとこないんですが、かつては浅からぬ縁があったんですね。
徳大寺:ええ。360cc時代の軽には、相当乗ってますよ。この本は乗用車に限って書いたので触れていませんが、初代の「スバル・サンバー」など商用車も含めて。
-- 運転している姿が、私には想像できません(笑)。

1954年4月20日から29日まで日比谷公園で開催された「第1回全日本自動車ショウ」(欧文表記はTOKYO MOTOR SHOW)の風景。出展車両267台中、乗用車はわずか17台で、あとはトラック(三輪含む)、バス、特装車、二輪車などだった。入場は無料で、来場者数は54万7000人を数えた。(写真=トヨタ自動車)
徳大寺有恒さんの新著は『間違いじゃなかったクルマ選び』。「日本車史の語り部」が、今だから話せるエピソードとは…

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『間違いじゃなかったクルマ選び』
徳大寺有恒/著
定価 1470円(税込み)

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■東京モーターショーは技術力アピールを

-- 話は変わりますが、先に開催された東京モーターショーには当然ながら行かれてますよね。印象はいかがでしたか?
徳大寺:1954年に日比谷公園で開かれた第1回から、私はすべての東京モーターショーを見ているわけですが、正直言って今回は寂しかったですね。
-- 見る前から想像はしていましたが、ほとんどの輸入車メーカー/インポーターが出展を中止したことが、やはり痛かったですね。
徳大寺:ええ。輸入車がなくなった分、空いたスペースを半ば無理やり埋めている感が強かったですね。いっぽう日本のメーカーはブースの面積は維持しているものの、展示にかけるコストを削減したことが如実に表れていました。おかげで空間が間延びしてしまい、寂しさを増幅していたような気がします。
-- そうですね。

徳大寺:しかし振り返ってみれば、昔の東京ショーは日本車だけでしたが、それでも非常に盛り上がっていたんですよ。もちろん時代背景がまったく異なる当時と現在を同列に語ることはできませんが、日本車だけであったとしても、意義のあるショーにすることは不可能ではないと思うんです。
-- たとえばどんなふうにして?
徳大寺:ひとことで言うならば、規模は小さくても密度を濃くすること。出展しない海外メーカーやプレスも、「ビジネスなら上海や北京だが、スタディや情報収集となると東京ショーは外せない」と足を運ばざるを得ないような、日本のメーカーならではの技術力のアピールにウェイトを移したショーにするとか。
-- 同じようなことを、『NAVI』誌上で東京モーターショーの創始者である元米国日産社長の片山豊さん(注2)がおっしゃってました。今回の縮小は、興行面が強くなりすぎた東京モーターショーを、本来の目的だった日本の自動車工業のPRの場に戻す、いい機会なのではないかと。
徳大寺:そうですか。私はともかく、片山さんがおっしゃっているなら、若い人たちは耳を傾けるべきですよ。なにしろ片山さんは御年満100歳、まさに日本の自動車界の生き証人なんですから。
-- たしかに。しかし、そういわれる徳大寺さんも立派な日本車史の語り部でしょう。何よりこの本がその証拠なんですから。
徳大寺:ありがとうございます。

-- 最後の質問です。次作としてあたためている企画などがあれば、ぜひ教えていただきたいのですが。
徳大寺:そうだなあ、次は往年の輸入車事情について書いてみたいですね。それも1950年代に日本に1台だけ入ったスペインの高級スポーツカーのペガソとか、60年代に消えてしまったドイツのブランドであるヴォルグワルトとか、ちょっと毛色の変わったヤツについて。
-- おもしろそうですね。期待しています。

(文=田沼哲/写真=岡村昌宏<CROSSOVER>)(注2)1935年に日産自動車に入社し、宣伝を担当。54年にメーカーの枠を超えて東京モーターショーを企画、各社に呼びかけて実現した。米国日産時代に企画したフェアレディZの生みの親としても有名。愛称は「ミスターK」。

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