第104回:「K’z meeting 2009 HAMAMATSU」−「Zの父」片山豊さんの100歳を祝う

2009.09.14 エッセイ

第104回:「K’z meeting 2009 HAMAMATSU」−「Zの父」片山豊さんの100歳を祝う

“Father of Z-car”、「Zの父」と呼ばれる片山豊さんがこのほど100歳を迎えられ、それを祝って2009年9月6日の日曜日、全国から新旧「フェアレディZ」ほか約800台が静岡県浜松市の「浜名湖ガーデンパーク」に集まった。

Many happy returns! Mr.K’s Centennial.「FatherがいるならMotherもいるわけで、私はいわばセールスマン、本当はZをデザイン(設計)してくれた人たちのお陰です」と謙虚に語るご本人。向かって左隣りが浜松市長の鈴木さん、右隣りがはるばるシアトルからこの日のために駆け付けたご存じBREの代表、ピーター・ブロックさん。’60年代から’70年代にかけて「510ブルーバード」や「Z」をSCCAのシリーズチャンピオンに輝かせた張本人だ。
Many happy returns! Mr.K’s Centennial.「FatherがいるならMotherもいるわけで、私はいわばセールスマン、本当はZをデザイン(設計)してくれた人たちのお陰です」と謙虚に語るご本人。向かって左隣りが浜松市長の鈴木さん、右隣りがはるばるシアトルからこの日のために駆け付けたご存じBREの代表、ピーター・ブロックさん。’60年代から’70年代にかけて「510ブルーバード」や「Z」をSCCAのシリーズチャンピオンに輝かせた張本人だ。
戦前型「ダットサン」「フェアレディSP」「フェアレディSR」歴代「Z」が一堂に会したこの写真こそ、恐らくMr.Kの心象風景そのものだ。自動車の世界に身を投じて70有余年のMr.Kはこれら1台1台のすべてに関わってきた。(写真=DSCC/ダットサン・スポーツ・カー・クラブ中部)
戦前型「ダットサン」「フェアレディSP」「フェアレディSR」歴代「Z」が一堂に会したこの写真こそ、恐らくMr.Kの心象風景そのものだ。自動車の世界に身を投じて70有余年のMr.Kはこれら1台1台のすべてに関わってきた。(写真=DSCC/ダットサン・スポーツ・カー・クラブ中部)

その名も「K’zロード」誕生!

なぜ開催地が浜松かは、2005年6月10日付けの本サイト、「K’z meeting in HARUNO余話」に詳しいが、氏が生まれたのは1909年(明治42年)9月15日、旧・静岡県周智郡気田村、後の同・春野町気田を経て、現・浜松市天竜区春野町気田だった縁である。

4年前の時点ですでに地元自治体たる春野町から「ふるさと大使」を任ぜられるとともに、『片山豊記念館』(仮称)の設置が計画されていた。浜松市との合併後も構想はしっかりと申し送りされ、事実、氏は引き続き(新)浜松市の「やらまいか大使」を務めてもいるのだが、記念館については「ハコモノ行政」がなにかと物議を醸す昨今の情勢に鑑み、モノよりむしろココロが大事と方針を変更。結局、春野町内を走る緑豊かなワインディングロードに氏の愛称であるMr.Kに因んだ「K’zロード」の称号を贈ることとした。

コースは、全国的にも有名な秋葉山本宮秋葉神社にいたる1本を含めて全部で3本あり、いうまでもなくいずれも歴とした既存の公道。普段お堅いイメージが強いお役所としては異例なほど粋な計らいと言うべきである。また日頃「love cars、love people、love life」を信条としている片山さんにピッタリのネーミングである。正式な発表はこの日が初めてで、セレモニーの冒頭に来賓として挨拶した鈴木康友市長から直々に披露された。

ハママツ良いとこ、一度はおいでよ。北に山深いK’zロードあり、南に陽光溢れる浜名湖あり。ガーデンパーク展望塔からのショット。画面中央やや上に見える夥しい一群がこの日集まった参加車。ナンバーは札幌から長崎までと、文字通り列島各地からだ。
ハママツ良いとこ、一度はおいでよ。北に山深いK’zロードあり、南に陽光溢れる浜名湖あり。ガーデンパーク展望塔からのショット。画面中央やや上に見える夥しい一群がこの日集まった参加車。ナンバーは札幌から長崎までと、文字通り列島各地からだ。
片山さんのお人柄だろう、このイベントは実にさまざまな人と企業、団体の支援で実現されたのだが、会場にはこの人も姿を見せていた。エンケイの代表取締役、鈴木順一さんである。車はかつてご自身が所有、その後友人の日比野良平さんに譲られた「日産(シルビア)240RS」。WRCのグループBホモロゲーション用で、筆者も周辺でチョイ乗りを許されたが、クラッチの重いこと重いこと。ラリーストはタフでなければ務まらない。
片山さんのお人柄だろう、このイベントは実にさまざまな人と企業、団体の支援で実現されたのだが、会場にはこの人も姿を見せていた。エンケイの代表取締役、鈴木順一さんである。車はかつてご自身が所有、その後友人の日比野良平さんに譲られた「日産(シルビア)240RS」。WRCのグループBホモロゲーション用で、筆者も周辺でチョイ乗りを許されたが、クラッチの重いこと重いこと。ラリーストはタフでなければ務まらない。

Still going strong!

その片山さん、自ら「百歳は単なる通過点」と仰るだけあってお元気そのもの。現在も、というより最近はますます多忙な日々をお過ごしで、自動車関係のみならず各種メディアから取材の申し込みが殺到、そのためもあって週1回2時間の筋力トレーニングを欠かさないなどと聞けば、我々凡人は驚くしかない。

新しいものに対する興味も一向に衰えず、氏にとって国内外の友人知人に電子メールを打つなどというのは当たり前。つい先日も自ら運転して試験場に行き、免許証を更新したばかりだという。

そんな片山さんがこうして集まったファン、特に若い人たちに向けて説くのは自動車が本来的に持っているはずの「操る愉しさ」である。「自動車という言葉は、いつの間にか字が変わってしまいましたが、昔は“自働車”と書いて人偏が付いていたものです。そのことが示すとおり、いくら技術が進んでも操るのはあくまで人間です。居眠りしてたら起こしてくれたり、機械がひとりでに走ってくれたり、そんな自動車なら要りません」と熱く語るのが常だ。果たしてこれからの自動車はアメリカの自動車殿堂にも叙せられた、この偉大な先達の期待に応えられるだろうか?

(文と写真=道田宣和)

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