「ホンダ・モンキー」故郷に帰る〜「Classicモンキーサンクスデー」開催

2009.07.06 自動車ニュース
「多摩テック」の「青空広場」に集まった約100台のクラシック・モンキー。
「ホンダ・モンキー」生まれ故郷に帰る

「ホンダ・モンキー」故郷に帰る〜「Classicモンキーサンクスデー」開催

2009年7月4日、東京・日野市の「多摩テック」で「Classicモンキーサンクスデー」が開催された。

高橋国光氏を先頭に園内をパレード。2番目を走る長谷見昌弘氏が跨がるのは、彼が所有する1969年式Z50A。かつて新車で購入したのと同じモデルを最近になって入手し、レストアしたそうだが、新車と見まごう出来だった。
高橋国光氏を先頭に園内をパレード。2番目を走る長谷見昌弘氏が跨がるのは、彼が所有する1969年式Z50A。かつて新車で購入したのと同じモデルを最近になって入手し、レストアしたそうだが、新車と見まごう出来だった。
昭和40年代に人気を博したという「走るイス」の復刻版もパレードに参加。ハンドルを握るのは多摩テック所長、浴衣姿は園内にある天然温泉「クア・ガーデン」の女将。
昭和40年代に人気を博したという「走るイス」の復刻版もパレードに参加。ハンドルを握るのは多摩テック所長、浴衣姿は園内にある天然温泉「クア・ガーデン」の女将。
展示されていた初期モンキー。左は多摩テックで生まれた1961年「Z100」。中央は初めて市販された(輸出専用)1964年「CZ100」で、タンクやシートは当時の「スポーツカブ」から流用。右は1967年に国内販売された最初のモデル「Z50M」。シートとハンドルはコンパクトに畳める。エンジンはいずれも「スーパーカブ」から流用している。
展示されていた初期モンキー。左は多摩テックで生まれた1961年「Z100」。中央は初めて市販された(輸出専用)1964年「CZ100」で、タンクやシートは当時の「スポーツカブ」から流用。右は1967年に国内販売された最初のモデル「Z50M」。シートとハンドルはコンパクトに畳める。エンジンはいずれも「スーパーカブ」から流用している。

■「モンキー」は「多摩テック」生まれ

ご存知の方もおられるだろうが、「多摩テック」は2009年9月30日をもって営業を終了、施設が閉鎖されることが決定している。そこで1961年の開園から48年間の感謝を込めて、7月4日から最終営業日となる9月30日まで「グランドフィナーレ」と題したメモリアルキャンペーンを開催。そのオープニングを飾るイベントとして、「Classicモンキーサンクスデー」が実施されたのである。

現在は遊園地として知られる「多摩テック」。そもそもは1961年にホンダの関連会社である「モータースポーツランド」(現モビリティランド)が、日野市にある約12万平方メートルという広大な丘陵地に、「青少年を対象とした新しい交通運転道徳を底流とするモーターサイクルのスポーツランド」として開設したものだった。

社会問題化した「カミナリ族」(公道をオートバイで爆走する、暴走族のルーツ)対策として、ライダーに思いきり走れる場を提供すると同時に交通安全マナーを身に付けさせ、また次世代を担う子供たちにエンジン付きの乗り物の楽しさを知ってもらうというのが、開園の目的である。オートバイを製造販売するメーカーとしての社会的責任というわけだ。

この多摩テックといい、そして翌62年に設立された日本初の本格的なレーシングコースである鈴鹿サーキットといい、ホンダは当時の日本では稀な先見性と社会性、そしてスポーティングスピリットを備えた企業だったのである。

当初の施設は、全日本選手権なども開かれた本格的なモトクロスコースを含むバイク用のダートコースが主体。次第にゴーカートなどの遊具も導入されていったが、ホンダ系とあってエンジン付きの乗り物が中心だった。その中のひとつが、レジャーバイク「モンキー」のルーツにあたるモデルだったのだ。

初期の多摩テックでは、運転免許を持たない少年でも「スポーツカブ」などの原付二輪に乗ることができた。そうした市販車に混じって、子供でも乗れるように特別に作られたモデルが、小さな車体に「スーパーカブ」の50ccエンジンを搭載した「Z100」。これが発展して市販車の「モンキー」になった。つまり「モンキー」は、「多摩テック」から生まれたモデルなのである。

珍しいモデルや、凝った改造車を紹介した「オーナーズインタビュー」。写真のモデルは、1969年に登場したホンダ初のナナハンである「ドリームCB750」風に見事に変身していた。
珍しいモデルや、凝った改造車を紹介した「オーナーズインタビュー」。写真のモデルは、1969年に登場したホンダ初のナナハンである「ドリームCB750」風に見事に変身していた。
高橋国光氏(中央)、長谷見昌弘氏(左)を迎えての「トークショー」。「多摩テックがなくなるのは寂しいけれど、モンキーのイベントは今後も開催されるだろうから、そこでまた会いましょう」と口を揃えていた。
高橋国光氏(中央)、長谷見昌弘氏(左)を迎えての「トークショー」。「多摩テックがなくなるのは寂しいけれど、モンキーのイベントは今後も開催されるだろうから、そこでまた会いましょう」と口を揃えていた。
エントランス付近に設けられた「メモリアルギャラリー」では、オープン当初の写真パネルをバックに1960年代の「初代ゴーカート」の復刻版と最新のカートである「ドリームR」が並んで展示されていた。
エントランス付近に設けられた「メモリアルギャラリー」では、オープン当初の写真パネルをバックに1960年代の「初代ゴーカート」の復刻版と最新のカートである「ドリームR」が並んで展示されていた。

■モンキー約100台が集合

「多摩テック グランドフィナーレ」のオープニングイベントとして「Classicモンキーサンクスデー」が開かれた背景には、そうした歴史があるのだ。
当日は多摩テックに、1979年までに作られた約100台のモンキーが集合。スペシャルゲストとして迎えられた高橋国光氏と長谷見昌弘氏を先頭に園内をパレードした後、オーナーズインタビュー、記念撮影、両氏のトークショーやサイン会などが行われた。

長年にわたってレーシングドライバーとして活躍し、現在は揃ってスーパーGTのチーム監督を務める高橋、長谷見両氏は、じつは多摩テックと縁の深い人物なのである。
高橋氏は四輪に転向する前はホンダのワークスライダーとして活躍、1961年の世界ロードレース選手権西ドイツGP250ccクラスで優勝、国際レースでセンターポールに初めて日の丸を掲げたことで知られるが、同年にオープンした多摩テックの初代所長に任命されていたのだ。

当然ながら名誉職で、実務を行ったわけではないが、トークショーでの「なぜ高橋さんが所長に?」という司会者の問いに対しては、「なぜでしょうねえ? それは本田宗一郎さんをはじめ、当時の関係者の方々に聞いてもらわないと」と笑っていた。
それを受けて「でも、飛ぶ鳥を落とす勢いのグランプリライダーを所長に据えるなんて、やっぱりホンダはやることが粋だよね」と語っていた長谷見氏も二輪からの転向組で、10代の頃は二輪のモトクロスに熱中していた。多摩テックのオープン当時は高校生だったが、実家が東京・青梅市ということもあって、当初からホームコースとしていたという。

トークショーでは、そんな両氏から多摩テックとモンキーにまつわるエピソードも飛び出した。高橋氏は「ホンダスピード(ワークスチーム)時代、メンバーとモンキーでここの斜面を駆け登るゲームをした。足を付いたら減点で、チーム監督だった河島さん(ホンダの2代目社長を務めた河島喜好氏)に顔に墨で×印を描かれた。罰ゲームみたいなもんですね」。

いっぽう長谷見氏は「モトクロスのレースの休憩時間に、全日本選手権のトップライダーが集まってモンキーでレースをした。いつも張り合ってる連中だから、前に行かせないためにヒジ打ちはするわ、蹴りは入れるわといったひどい走りで(笑)。しかし、本番のレースの合間にまでそんなことをしてたんだから……」
モンキーを使った遊びでも、結局はマジになってしまうところが、スピードを生業とする彼ららしいが、おかげでトークショーは盛り上がった。

なお「多摩テック グランドフィナーレ」では、今後も昭和40年代の人気があったのりものを復刻した「懐かしの“のりもの”展示」や、開園当時の様子や昔のアトラクションを動画で楽しめる「メモリアルシアター」(7月18日より)などのプログラムを実施している。また7月26日には「鈴鹿8耐ライブ中継in多摩テック」「Classic CB大集合」、9月26日には「多摩テック トライアルフェスティバルFINAL」などのスペシャルイベントも開催される。

詳しくは公式サイトまで。
http://www.tamatech.jp/

(文と写真=田沼 哲)

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