クルマ好きなら毎日みてる webCG 新車情報・新型情報・カーグラフィック
【スペック】1960年式RS21型:全長×全幅×全高=4365×1695×1540mm/ホイールベース=2530mm/車重=1250kg/駆動方式=FR/1.5リッター直4OHV8バルブ(62ps/4500rpm、11.2kgm/3000rpm)

トヨペット・クラウン デラックス(FR/3MT)【試乗記】

伝説の始まり 2009.01.05 試乗記 トヨペット・クラウン デラックス(FR/3MT)

トヨタ自動車が1955年に送り出した初代クラウン(の後期)に試乗した。およそ50年前に造られた元祖国産高級車は、ここから何かが始まる、そんな希望に満ちたクルマだった。

国産車初のオーバードライブ

う〜ん、やっぱり博物館を訪ねると、時計の針が一気に戻る。それにしても何年ぶりだろう、観音開きのクラウンを運転するなんて。学生時代に友達が持っていて、その後クルマ雑誌の記者になってからも取材で何回かステアリングを握ったけれど、そうだなあ、あれから30年にはなるだろうか。

ちょっと惜しいのは、「今度の試乗は初代クラウンです」と言われてたのに、初代は初代でも、その後半に属する1958年以降のモデルだったこと。X形フレームとかOHVエンジンとか、そしてもちろん観音開きのドアとかは同じで、ひっくるめて初代には違いないんだが、見た目の姿はかなり別物。全体に丸っこかった本当の初代(1955年デビュー)にあれこれ手を加えて、ヘッドライトには庇が付いたり、後ろもテールフィンみたいに尖らせてある。このビッグマイナーチェンジで1500ccエンジンが48psから58ps(後期ではさらに62psになる)にパワーアップされたほか、3段コラムシフトMTに電気式のオーバードライブが追加された(トランクリッドには、嬉しそうに「Overdrive」というメッキのバッジが付いている)。

1960年には1900cc仕様が加わるんだが、なぜ最初が1500だったかというと、あのころ5ナンバーの枠がそうだったから。いやあ、時代を感じさせます。

当時のクラウンは前後共にベンチシートで、6人乗りの設計だった。
当時のクラウンは前後共にベンチシートで、6人乗りの設計だった。 拡大
ガソリンの給油口は、テールライトの内側に、その存在を隠すかのように配置されていた。
ガソリンの給油口は、テールライトの内側に、その存在を隠すかのように配置されていた。 拡大

日本人に自信を与えた

ここで、ちょっとトヨペット(トヨタじゃありません)クラウンがどんな時代に生まれたかを復習しておこう。1950年代の前半から日本の自動車メーカーは、欧米の先進国から近代的な乗用車作りを学ぼうと、いっせいに技術提携や日本国内現地製造に乗り出した。日産はオースティン、いすゞはヒルマン(ともにイギリス)、日野はルノー(フランス)、三菱はウィリス(アメリカ)といった具合で、まとめて「国産外車」なんて呼ばれてた。三菱といっても、まだ三菱重工のことで、今の三菱自動車工業が正式に発足するのは、ずっと後の1970年のことだ。

そんな中で、あくまで純国産にこだわったのがトヨタ。戦後すぐ四輪独立懸架を持つトヨペットSA型を作るなど意欲は満々で、しばらくトヨペット・スーパー(すごくトラック的)などを作りながら研究を重ねたあげく、1955年に発表したのがクラウンだった。ちょっとアメリカっぽいデザインや、ダブルウィッシュボーンとコイルによる前輪独立懸架など、しっかり世界のトレンドを取り入れた設計が特色。「日本でもこんなクルマが作れるんだ」と、世間は大歓迎した。

敗戦からまだ10年、復興に汗水たらしていた日本人に、クラウンが大きな自信をもたらしたのは事実。もっとも、100万円というのは、土地付きの一戸建てが買える値段で、もちろん庶民の手が届くものではなかったが。

そんなクラウンが登場したころ、まだまだ日本の道路事情は最悪で、主要国道でも未舗装の区間が多かった。そこに独立懸架では耐久性が心配だと不安がるタクシー業界のために、わざわざ前後とも半楕円リーフによるリジッドアクスルのトヨペット・マスターも併売されたのだから、そこにも時代が偲ばれる。

50〜60年代のアメリカ車を彷彿とさせるラジエターグリル。アメリカを豊かさの象徴としていた当時の風潮が偲ばれる。
50〜60年代のアメリカ車を彷彿とさせるラジエターグリル。アメリカを豊かさの象徴としていた当時の風潮が偲ばれる。 拡大
装備品は、カーヒーター、ラジオ、時計、自動飛び出し式のシガーライター、サンバイザーなど。オプションでは、身だしなみ用の電気カミソリや電気掃除機が用意されていた。
装備品は、カーヒーター、ラジオ、時計、自動飛び出し式のシガーライター、サンバイザーなど。オプションでは、身だしなみ用の電気カミソリや電気掃除機が用意されていた。 拡大
シートは、スプリングの上に厚いベースクッションを引き、その上に織り生地を表張りした造りになっていた。
シートは、スプリングの上に厚いベースクッションを引き、その上に織り生地を表張りした造りになっていた。 拡大

「ロー半転がし」で2速へ

さて、ではトヨタ博物館の奥からしずしず現れた観音開きのクラウンに乗ってみよう。何より印象的なのは、ずっしり分厚い鉄板のボディ。とにかく今のクルマでは味わえない重量感に満ちている。あのころクルマはみんなそうで、僕の愛車は日産製のオースティンだったのだが(いきなり私的な話題ですみません)、いつもその量感に圧倒されまくりだった。

ブルンと目覚めるエンジンの感覚も半世紀前そのもの。もちろん現代最先端のクルマのように滑らかに吹けるのとは違い、アクセルを踏むとブブ〜ッと、少し苦しげに回転が上がる。そんな調子を確認してから、コラムのシフトレバーを1速に落とし込む。シフトパターンは、ニュートラルから手前に引いて下に下げると1速、持ち上げて向こう側の上が2速、そのまま押し下げるとトップ(3速)、手前の上がリバースになる。整備状態が完璧なのでクラッチは穏やかにつながる。動きだしたらすぐ2速にシフトアップ。今とは比較にならないほどローギアリングが常識の時代だったから、1速は発進専用で「ロー半転がし」なんて言葉もあった(だから1速にはシンクロがなかった)。

さらにブブ〜ッと加速して40km/hぐらいでトップへ。あとは動いているかぎり基本的にトップだけ、街角を曲がってから加速する時だけ2速に落とすのが定法だ。赤信号で停まるのもトップのままブレーキだけ。それに続いて急いでトップからローにUターン的にシフトレバーを操作すると、古くなったクラウンの場合、途中ニュートラルのところで引っ掛かって動かなくなることも多かった。その時はボンネットを開け、スカットルのすぐ前のシフトリンケージに指をかけ、2本が平行になってカチッというまで引っ張ることになっていた(このクルマは大丈夫だったが)。

モータージャーナリストの熊倉重春氏。
モータージャーナリストの熊倉重春氏。 拡大
サスペンションは、フロントがコイルバネ式の独立懸架、リアは3枚式リーフスプリングを採用した固定車軸式だった。
サスペンションは、フロントがコイルバネ式の独立懸架、リアは3枚式リーフスプリングを採用した固定車軸式だった。 拡大
時速40km/h以上で、アクセルをゆるめると自動的にオーバードライブ(OD)に入る仕組み。追い越し時などはアクセルを強く踏み込むとキックダウンスイッチが作動、ODが解除された。
時速40km/h以上で、アクセルをゆるめると自動的にオーバードライブ(OD)に入る仕組み。追い越し時などはアクセルを強く踏み込むとキックダウンスイッチが作動、ODが解除された。 拡大
車買取・中古車査定 - 価格.com

「クッションがいい」

もともとパワーがないうえに(今の基準では)こういうギアの使い方だから、もちろん加速はかったるい。でもトップギアで流せるところまで漕ぎ着けると、けっこう交通の流れにも乗って行ける。むしろ要注意なのはブレーキで、もちろんサーボなんかない時代だから、ずっと向こうまで見通して、うんと手前から減速と停止の準備をしなければならない。ただし踏力そのものは、僕が乗ってたオースティンよりずっと軽い。

ここで普通のロードインプレッションのようにハンドリングを語ったりするのは、初代クラウンにとって過酷すぎるかもしれない。まだそんなこと誰も意識しない時代だったし、乗用車は「クッションがいい」(乗り心地が柔らかい)かどうかが値打ちだったのだから。まあ、それにしてはダンパーも効いているし、そこそこのペースで走るぶんに支障があるわけではない。

あらためて見回すと、当時のアメリカ車にもよくあった横長式のスピードメーターや、そこらじゅう剥き出しの鉄板など、ここにも時代の差を感じさせる部分は多い。ラジオの選局ボタンが5個だけなのも当時の特徴だ。初代の前期型にデラックスが追加された時はまだ真空管タイプで、ボタンも6個だった。それがこの年代でトランジスター式になると同時に5個に減らされて、その後しばらくこれが常識になってしまった。ちなみに、60年代に全車デフロスターが義務化されるまでは、安いスタンダード・モデルにはラジオはもちろんヒーターも付かないのが普通だった。

ところで、乗りながらアレッと思ったのがステアリングホイール。あのころ友人も観音開きを持ってたんだが、たしかホーンリング(クロームメッキ)がカチカチ首を振ってウィンカースイッチも兼ねてた記憶がある。僕自身2代目コロナでも経験したが、ウィンカーを点けようとしてラッパも鳴らしちゃったとか、けっこうあった。
そこで、最初のリポートでは「これ、違うんじゃないの」と書いたんだが、すみません、違っていたのは僕の記憶だった。ホーンリングがウィンカー兼用になったのは今回のモデルの直後、1900が登場してからだった。熱心な読者(僕と同世代?)から連絡をもらって、やっと間違いに気付いたのだから恥ずかしいが、ここで訂正しておきます。この画像に出てくるステアリングホイールは、当時の純正そのままです。親切なご指摘、ありがとうございました。

(文=熊倉重春/写真=webCG/取材協力=トヨタ博物館

62psの1.5リッターエンジンは、1250kgのボディを最高110km/hまで届かせた。カタログ燃費は15.0km/リッターと記されていた。
62psの1.5リッターエンジンは、1250kgのボディを最高110km/hまで届かせた。カタログ燃費は15.0km/リッターと記されていた。 拡大
フロントサスのキングピン部にボールジョイントを使い、自由関節式としたのがこのクルマの自慢のひとつだった。
フロントサスのキングピン部にボールジョイントを使い、自由関節式としたのがこのクルマの自慢のひとつだった。 拡大
標準外板色は、ペットブルーメタリック、リオンスグリーンメタリック、ゴールドブロンズメタリック、ブラックの4色が用意されていた。
標準外板色は、ペットブルーメタリック、リオンスグリーンメタリック、ゴールドブロンズメタリック、ブラックの4色が用意されていた。 拡大
あなたにおすすめの記事