昭和の名宰相、吉田茂のメルセデスが「ヤナセ銀座スクエア」で展示中

2008.10.31 自動車ニュース
ヤナセレディによってお披露目された、吉田茂元首相が愛用した「1963年式メルセデス・ベンツ300SEラング」。ヘッドライトは当時の法規に合わせて、北米向けと同じシールドビーム4灯だった。コンディションは非常によく、歴代オーナーが大切に扱ってきたことがわかる。
昭和の名宰相、吉田茂のメルセデスが「ヤナセ銀座スクエア」で展示中

昭和の名宰相、吉田茂のメルセデスが「ヤナセ銀座スクエア」で展示中

昭和史に残る政治家、吉田茂元首相が愛用した「メルセデス・ベンツ300SEラング」が、ヤナセのショールームで展示中である。

アメリカ車のそれに比べたら控え目なテールフィンによって「フィンテール」または「ハネベン」の俗称で呼ばれる。ボディサイズは全長×全幅×全高=4975×1795×1455mm、ホイールベース2850mmで現在のEクラス程度だが、当時のラインナップでは最大だった。
アメリカ車のそれに比べたら控え目なテールフィンによって「フィンテール」または「ハネベン」の俗称で呼ばれる。ボディサイズは全長×全幅×全高=4975×1795×1455mm、ホイールベース2850mmで現在のEクラス程度だが、当時のラインナップでは最大だった。
インテリアの状態も上々。ハネベンはボディに衝撃吸収構造を採用した最初のメルセデスだが、ダッシュ上やステアリングホイール中央のクラッシュパッドなど、インテリアにも安全対策が施されている。トランスミッションはメルセデス自製の4段オートマチックで、コラムセレクト式。
インテリアの状態も上々。ハネベンはボディに衝撃吸収構造を採用した最初のメルセデスだが、ダッシュ上やステアリングホイール中央のクラッシュパッドなど、インテリアにも安全対策が施されている。トランスミッションはメルセデス自製の4段オートマチックで、コラムセレクト式。

■12年越しの約束

1946(昭和21)年から54(昭和29)年にかけて5期、通算7年2カ月の長きにわたって内閣総理大臣を務め、「ワンマン」と呼ばれた強いリーダーシップを発揮し戦後日本の復興に尽力した吉田茂。彼が晩年に愛用した「1963年式メルセデス・ベンツ300SEラング」が、東京・銀座にあるヤナセのショールーム「ヤナセ銀座スクエア」で、10月31日から展示・公開されている。

吉田茂がこのメルセデスを手に入れることになったきっかけは、1951年まで遡る。首相在任中に西ドイツ(当時)を訪問した際に、公用車としてメルセデスのトップモデルだった「300リムジーネ」を公用車として愛用していた西独首相アデナウワーにメルセデスを勧められ、購入を約束したのだった。

しかし、外貨不足による自動車の輸入が制限されていた当時は、たとえ首相といえども在任中は購入できなかった。月日が経ち、彼が首相を退任した後の1961年に輸入制限は撤廃。吉田は10年前の約束を果たそうとしたが、当初は輸入台数が少なく入札制がとられたために、メルセデスのような人気車種は高いプレミアム価格がついてしまい、またもやあきらめざるを得なかったという。

それから2年後、輸入車事情もどうにか落ち着いた1963年になって、ついに約束を果たす日がやってきた。その頃メルセデスのインポーターだったヤナセの梁瀬次郎社長(当時)が手を尽くし、その年に発売されたばかりの「300SEラング」の輸入1号車が、吉田茂の85回目の誕生日となる9月22日に、神奈川県大磯の吉田邸に届けられたのである。自ら納車に赴いた、吉田茂を尊敬してやまない梁瀬次郎の手によって、後席には吉田の好きな真っ赤なバラの花束が置かれていたという。

吉田茂は子供のように喜び、さっそくアデナウワーに「われ約束を果たせり。新しいベンツに本日から乗っている」と打電したところ、ただちに「約束をお守りいただいたことを心から感謝する」という返電が入ったそうだ。

ハネベンの特徴のひとつである縦型のメーター。中央にあるスピードメーターは下から上に針が上昇する方式で、「温度計型」などと呼ばれた。オドメーターは4万8000km台を指しているが、実走距離だろうか?
ハネベンの特徴のひとつである縦型のメーター。中央にあるスピードメーターは下から上に針が上昇する方式で、「温度計型」などと呼ばれた。オドメーターは4万8000km台を指しているが、実走距離だろうか?
納車時の様子を再現すべく、リアシートには赤いバラが。リアパーセルシェルフに見える透明のダクトは、トランクタイプクーラーの吹き出し口。
納車時の様子を再現すべく、リアシートには赤いバラが。リアパーセルシェルフに見える透明のダクトは、トランクタイプクーラーの吹き出し口。

■当時の最高級モデル

とまあ、このメルセデスには敗戦から奇跡の復興を遂げた日独両国首脳間のこんなエピソードが秘められていたのだが、そもそも「300SEラング」とはどんなクルマだったのか?

ベースとなったのは、1959年にデビューした「220系」(コードナンバーW111)。その頃世界のスタイリングリーダーだったアメリカ車の影響を受けた、欧米では「フィンテール(fintail)」、日本では「羽根ベン」と俗称されるテールフィンの生えたボディに、直6SOHC2.2リッターエンジンを搭載したモデルで、今日でいえば「S350」あたりに相当する。

220系のトップグレードだった「220SE」の内外装を一段と高級化し、エンジンを3リッター直6に換装、エアサスペンションや4輪ディスクブレーキを備えたモデルが、1961年に登場した「300SE」(W112)。さらにその「300SE」のボディをセンターピラーの直後で切断し、ホイールベース/全長を100mm延長したストレッチモデルが、1963年に追加された「300SEラング」というわけだ。
「ラング」とはドイツ語の「Lang」(英語のLong)で、長いという意味だが、当時ヤナセでは「300SEロングセダン」と呼んでいたそうだ。ちなみに次世代モデルからは「300SEL」という名称になることは、メルセデス好きならご存知だろう。

今日なら「S550Long」あるいは「S600Long」にあたる、当時のラインナップのなかで最高級だった「300SEラング」。新車価格は530万円で、代表的な国産高級車である「トヨペット・クラウン・デラックス」のほぼ5台分に相当した。

ボッシュの機械式ポートインジェクションを備えた直6SOHC2996ccエンジンは、ディーゼルエンジンかと見まごう。最高出力160ps/5000rpm、最大トルク25.6kgm/3800rpmを発生した。右前方のフィンが刻まれたラジコン用エンジンのようなものは、エアサス用のコンプレッサー。
ボッシュの機械式ポートインジェクションを備えた直6SOHC2996ccエンジンは、ディーゼルエンジンかと見まごう。最高出力160ps/5000rpm、最大トルク25.6kgm/3800rpmを発生した。右前方のフィンが刻まれたラジコン用エンジンのようなものは、エアサス用のコンプレッサー。
バルクヘッドに貼られた正規輸入車の証となるプレート。「ウエスタン自動車株式会社」は、メルセデスのインポーターだったヤナセの子会社。
バルクヘッドに貼られた正規輸入車の証となるプレート。「ウエスタン自動車株式会社」は、メルセデスのインポーターだったヤナセの子会社。
解説パネルには、納車時に撮られた吉田茂と梁瀬次郎社長のツーショットが。
解説パネルには、納車時に撮られた吉田茂と梁瀬次郎社長のツーショットが。

■2代目オーナーは現首相

吉田茂の「300SEラング」は、彼の死後、夫人の実家である福岡の麻生家に渡り、孫である現首相の麻生太郎が管理していたそうだ。
アウディA8Lを愛用し、実家の車庫にはBMW2002も収めているという、なかなかのクルマ好きで知られる現首相。この「300SEラング」は今から25年前に茨城県在住の会社社長に譲渡したそうだが、以来、大のメルセデス愛好家であるそのオーナーの庇護の下にあり、現在も走行可能な状態にある。
今回の展示は、「クルマが語る人生のドラマ」を多くの人にご覧いただきたいというヤナセの企画意図に、現オーナーの賛同を得て実現したというわけなのだ。

「ヤナセ銀座スクエア」における展示は11月6日(木)まで。ただし2日(日)、3日(祝)は休業で、時間は11:00〜19:00。その後11月8日(土)、9日(日)は、「ヤナセ東京支店 芝浦ショウルーム」で展示される。こちらの時間は10:00〜18:00。

http://www.yanase.co.jp/

(文と写真=田沼 哲)

フルオリジナルで、なおかつ日本で過ごしてきた45年の歳月を感じさせる貴重な個体である。
昭和の名宰相、吉田茂のメルセデスが「ヤナセ銀座スクエア」で展示中

この記事の大きな画像を見るためには、画像ギャラリーをご覧ください。