第31回:「ハイスピード・ドライビング」は体験できなかったけど……
ポール・フレール氏追想

2008.03.06 エッセイ

第31回:「ハイスピード・ドライビング」は体験できなかったけど……ポール・フレール氏追想

マジシャンのように

元レーシングドライバーでモータージャーナリストのポール・フレール氏が、2008年2月23日に逝去した。(既報のとおり)。91歳だった。
ボクは、『CG』『NAVI』の幸運なスタッフのように、氏が運転するクルマのパセンジャーシートに乗る機会はついぞなかったが、晩年のフレール氏とさまざまな場所で会うことができた。その追想を繋ぎ合わせることで、氏の人柄を偲んでいただければと思う。

ボクが初めてフレール氏に出会ったのは2002年。当時パリで毎年開催されていたコンクール・デレガンス「ルイ・ヴィトン・クラシック(LVC)」の会場だった。
審査員として来ていたフレール氏と、ランチのテーブルで偶然隣り合ったのだ。ボクのイタリア訛り丸出しのフランス語で気安く話しかけては失礼。そう思った筆者は、フレール氏と話すかわりに、食事中のほとんどを反対側にいた別のジャーナリストと会話していた。

ところがプラ・プランシパル(メイン)が終わって、デザートを待っていたときだ。ボクともう1人のジャーナリストのデザート皿に、名刺が置いてあるではないか。ボクが夢中になって喋っているうち、フレール氏がそっと名刺を置いたのだ。思わず「大先生」の顔を見ると、鮮やかなテーブルマジックをこなした手品師のように、いたずらっぽく笑っていた。
先に名刺を出させてしまうとは。いや、それよりも、名刺など頂けるなどと思わなかったのだ。

2002年LVCで。平井和平トヨタ常務役員、L.フィオラヴァンティ氏とともに。
「ハイスピード・ドライビング」は体験できなかったけど……ポール・フレール氏追想
フェラーリ・クラシケで。ピエロ・フェラーリ副会長と
第31回:「ハイスピード・ドライビング」は体験できなかったけど……ポール・フレール氏追想

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大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住20年という脈絡なき人生を歩んできたものの、それだけにあちこちに顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーター。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストをはじめラジオでも活躍中。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)など数々の著書・訳書あり。