ダカール・ラリー、2008年は史上初の中止!

2008.01.07 自動車ニュース

ダカール・ラリー、2008年は史上初の中止!

2008年1月5日にポルトガルの首都リスボンをスタートする予定だった「2008年ダカール・ラリー(通称パリダカ)が開催中止になった。

理由は、モーリタニアの情勢不安、さらに、国際テロ組織「アルカイダ」と関係が噂される集団による、テロ襲撃の可能性だった。今大会は30回の記念大会だったが、スタート前日の4日に緊急会見を開いた主催団体「アモリー・スポール・オルガニザシオン(ASO)」が発表した。完全中止は、史上初めてのことである。

■ 安全を最優先

車検3日目が行われるはずだったベルム中央文化会館は、朝から異様な雰囲気に包まれていた。突然、正午からASOが緊急ミーティングを開催すると発表され、会場内のホールに全競技者、運営団体のスタッフ、報道陣が1000人以上も集まった。

エティエンヌ・ラビーニュ大会責任者は開口一番、「衝撃的なお知らせをします。2008年のダカールラリーはスタートをしません」。

アルカイダと関係のある「アルカイダ・オ・マグレブ・イスラミック」というテロ集団がパリダカを襲撃する可能性があるとフランス政府から連絡が入り、大会運営の安全性を考慮して断腸の思いで中止を決めたという。

「優先されるのは競技者、スタッフ、報道陣、現地の人々の安全。中止する以外の選択肢はなかった」「しかし、これがダカールの終焉ではない。これまでと形態が変わるかもしれないが、2009年大会はさらに大きなイベントになるよう、明日からでも準備活動を始めたい」と結んだ。

■存続にも暗雲

今回の中止に至ったきっかけは、2007年12月24日に4人のフランス人旅行者がモーリタニア南部で“マグレブ”に殺害され、さらにその2日後、同国の北部でモーリタニア軍の兵士3人が同じ組織に殺された事件だった。
当初は、ラビーニュ責任者が現地入りし、モーリタニア政府軍など3000人の警備体制の確約をとりつけ、従来どおりの開催を発表した。しかし、2008年1月3日に突然、フランス外務省がモーリタニアへの渡航自粛を発表し、パリダカにも警告を発して4日の開催中止に至った。

1979年に始まったパリダカはこれまでもテロや武装集団の攻撃などを受け、ステージのキャンセルやルートの変更を余儀なくされることはあった。2000年大会には、武装集団の攻撃を避けるために5日間のステージをキャンセルし、全競技者を空輸する措置を取ったこともある。
が、スタートを切らず、完全にラリーを行わない事態に陥ったのは初めて。国際情勢の悪化でもともと治安の悪いアフリカ諸国を舞台にするパリダカの存続すら問われる事件となった。

なお、今大会は、570チームがエントリーし、1月5日にリスボンをスタート、モロッコ、モーリタニアを通過して、セネガルの首都ダカールに20日ゴールするプログラムだった。
危険性が指摘されたモーリタニアでは8ステージが予定され、8連覇達成を懸けた三菱とフォルクスワーゲンの対決に注目が集まっていた。

日本人参加者としては、エースの増岡浩、バイオディーゼル燃料100%で2度目の挑戦となる片山右京、日本人初の王者篠塚建次郎、前回大会でクラス優勝した三橋淳(チームランドクルーザー・トヨタオートボデー)ら7人が予定されていた。

(文と写真=野口友莉/YUYU)

スタートセレモニーが行われる予定だった、ポディウム。
スタートセレモニーが行われる予定だった、ポディウム。
1月4日正午、パリダカ責任者のエティエンヌ・ラビーニュ氏が、参加者や関係者へ向けて大会中止を発表した。
1月4日正午、パリダカ責任者のエティエンヌ・ラビーニュ氏が、参加者や関係者へ向けて大会中止を発表した。

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3日の車検時に「ヤル気満々! 早く走りたい」と語っていた、日本のエース増岡浩。
3日の車検時に「ヤル気満々! 早く走りたい」と語っていた、日本のエース増岡浩。
片山右京は「がっかりしたけど、来年の参戦に向けて、すぐ活動するよ」と前向きなコメントを残した。
片山右京は「がっかりしたけど、来年の参戦に向けて、すぐ活動するよ」と前向きなコメントを残した。

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